若宮大路の聖なる道、儀礼の場

 鎌倉駅東口を出て左手に小町通りの赤い鳥居を見ながら真っすぐに進むと、信号のある大通りに出るが、これが若宮大路である。源頼朝は政子の安産を祈願して鶴岡八幡宮の社頭から由比ガ浜まで、従来の曲がりくねった道を直線の参詣路に改修造成しようとした。

 そして、寿永元年(1182)に工事が始まり、頼朝自身も現場で指揮し、北条時政や幕府の重臣たちも土石を運んで造成した。この大路の築造は頼朝の都市鎌倉建設のための最初からの計画だったのである。

 若宮大路は鎌倉の都市計画の主軸をなす道路であり、京の朱雀大路を模して築造し、京の内裏に見立てたのが鶴岡八幡宮と言われている。そのため、聖なる道、儀礼の場として特殊な役割を持った道路と考えられ、神の道としての参詣路であるとともに、頼朝以下の歴代将軍の二所詣や重要人物の通路としても使われるようになった。

 その当時、この辺りは湿地帯であったので、土盛りをして大路の中央に一段高い参道を作った。これが段葛で、一段高い土壇の両縁を縁石すなわち葛石で固めた道である。この道は初めの頃、置道、置石、作道、七度小路、七度行路、千度小路、千度壇などと呼ばれ、段葛と一般に呼ばれるようになったのは江戸時代からだと言われている。

 当初、段葛の南端は浜の鳥居までであったとされるが、明応四年(1495)の地震や洪水などにより損壊され、幕末の頃には下馬四つ角までとなっていたようである。その後、明治十一年(1878)に、二の鳥居以南が官有地となり、明治二十二年(1889)の横須賀線の鉄道工事によって削られ、現在は、二の鳥居から三の鳥居までのほぼ460mとなっている。