材木座の高台にある材木座霊園の最高地点から石段を下りると、左側に民家がある。民家の間の狭い道に入ると、やがて石段となり、その石段が尽きるあたりで道はやや広くなる。右折して下り、道なりに左にカーブして、下りきった所で、道は左右に分かれる。左にちょっと入ると、史蹟指導標が建っている。

 この石碑は「辨谷」とあって、「金剛山崇寿寺」という寺がこの地域にあったことと、「辨谷」の地名について、他の書物に、「紅谷(べにがやつ)、「別谷(べつがやつ)」と記される地名と同じとする説があるが、実名は不詳であるということを説明している。

 「金剛山崇寿寺」は鎌倉幕府第14代執権北条高時を開基、南山士雲を開山として、元亨元年(1321)に創建された臨済宗の寺である。

 士雲は徳治二年(1307)、北条貞時に請われて、鎌倉の東勝寺に住まいし、後に、円覚寺、建長寺に歴住した。高時と親交があり、北条得宗家以下の家臣の信を得て、多くの逸話を残していて、鎌倉時代末期の武士の尊崇を集めてきた。

 しかし、この寺は応永三十一年(1424)まで存在していたが、その後、いつ廃寺になったのかは不明である。