ウィルソンズ・クリークの戦いの後、テキサス州のリーダーであるマックローチ将軍はプライス将軍を置き去りにした。なぜなら、彼らはプライス将軍が指揮官として、下士官・兵士たちを満たすために、分離主義者たちを召集したことに賛成できなかったからだ。それでも、召集された人々は迅速に応じたので、プライス将軍はミズーリ川上流の湾曲部に位置するレキシントンに向かって北に移動した。そこは重要な位置を占めていて、合衆国軍のジェームズ・A・ミューリガン大佐指揮下の3000人に満たない兵士によって守備されていた。

プライス将軍がレキシントンの近くに到着したことを知ると、ミューリガン大佐は彼のわずかな数の軍でその場所を守ろうと決意した。しかし、ミューリガン大佐は大砲や包囲攻撃に耐えるための弾薬を十分には補充されていなかった。そこで、彼は決死の覚悟をして、兵士たちにキャンプの周りに塹壕を掘らせた。

そのとき、合衆国軍はジェファーソン・C・デイヴィス指揮下の非常に多数の兵士たちがミズーリ州の州都ジェファーソン・シティに駐屯していた。また、ジョン・ポープ将軍が5000人余の兵士と共にミズーリ州の北方からやってきた。

そこで、プライス将軍はこのままでは危機に陥ると判断し、レキシントンに向かって2万人の兵士と共に勇敢に進軍した。

ミューリガン大佐は圧倒的な数の南部連合軍に対して、敢然と駐屯地を守備したが、抵抗の甲斐なく、降伏させられた。このレキシントンでの敗北は合衆国に忠誠を誓う人々に大きな影響を与えた。そこで、合衆国軍のフレモントは挽回しようとして、すぐに2万人の兵士を動かし、プライス将軍や彼の仲間たちをミズーリ州から追い払おうとした。