明日は小学校の運動会いものコース足慣らしに走りました。蒸し暑くいもならば精力を付けるのに色々飲み屋に行くのですがエビスの騒ぎでレバ刺しお品書きから消えてますが城端の名物ならばドジョウの蒲焼きくらいでしょうか肉は余りなくて骨を食べてる様な感じです。頭付いていると何かグロイ感じがします
以前、好きな役者さんがブログに、ブログにはグチと政治と宗教のことは書かないと最初に決めたてなことを書いているのをみたことがある。かっけーと思い。自分は逆にタブー無しで書こうと決めた。の、だが、やっぱり読み直すとグチは読んでてまらないなあと思う今日この頃。まあ読むより読ませるより、書くのが目的だから仕方ない読むのが目的になるのは本ですよ。今日の読書対象はおくだ英朗の空中ブらンコ。うーむ。やっぱり面白い。この作者好きだなー。あと、友達にオススメしてもまあ大丈夫だと思われる。インザプーるの続編というか兄弟編というか、同じシリーズ。患者に注射を打ことに異常な興奮を見せる精神科医が主人公です。主人公、だと思います。そーゆー事にしよう。プールもそうだけど、全て短編で、主人公の元を訪れる患者の立場で描写されているから面白い。いわゆる神経症の患者たちが、この医者大丈夫かっていうぐらいぶっ飛んだ言動をする主人公に振り回されながら、結局、主人公との体当たりの人間関係の中で、それぞれの症状を乗り越えていく展開になっている。と言っても治ったのか、というとそれはわからない。基本的にフろイトせんせーの理論を下敷きにしている模様で。神経症の症状は何らかの抑圧の反動として生じているので、そうであってはいけないと思えば思うほどそうしてしまう、というものとして描写されている。例えば尖端きょーふ症のヤクザが患者の一編では。患者はヤクザの自分が尖ったモが怖いなんてことはあってはならないと思っている。この抑圧に対して、尖ったものへの異常な恐怖という症状が出る。しかし本当は、患者の無意識はヤクザである自分に対して拒絶反応を示しているので、足を洗うことを考え、そう考える自分を受け入れることで症状が緩和されるのだった。まり抑圧されている心理を意識するか、もしくは症状自体を受け入れるかすると、何かが根本的に解決しなくても症状は消えていく。という構成です。私はちょうどフロいトの精神ぶんせき入門を読んだ後だったので、何を問題にしているのか分かりやすくて、わりと学術的な面白さもあった。ただし、もちろん小説なので。ほぼ投薬はないし。分かりやすさの危険性みたいなものも感じた。そんな風に抑圧と症状の関係がうまく説明ができる場合ばかりではないだろう、とか、医者が患者と人間関係を築くのはハイリスクでもある、とか。現実的には、ゆうメンたルクりニックのマンガの方がお役立ちだと思う。当たり前か。でも小説として、物語としてよくできているし、読みやすい。精神疾患に対する理解の端緒とするには良いのではなかろうか。まるで上から目線みたいですが何の権威でもありません。うへえ。またこんな時間。でも明日、じゃない、今日は休みだし。自虐にならずに寝ますわい。では、また。