沖縄密約暴いた西***さん死去

https://news.yahoo.co.jp/articles/e3a74c4b34e160425131e7bc8c6ea47cae8ffd20

 

 

 

 

沖縄返還を巡って、日米間で密約が交わされていた。

「沖縄返還に際し軍用地の原状回復補償費を日本政府が肩代わりする」

 

沖縄には米軍基地が多く存在します。というか、沖縄本島のほとんどが米軍基地。

日本に存在する米軍基地の90%以上が沖縄にある。

 

沖縄に米軍が駐留し、米兵が事件を起こす。

あるいはヘリが墜落し住民に被害がでる。

 

軍事基地跡って、土壌が酷く汚染されているそうです。

また、戦前に病院のあったところ、旧制中学校があった所も汚染が酷いらしい。

化学物質や有害物質が漏れるなどするからでしょうか?

 

それから、米軍の家族が住んでいた跡地も酷く汚染されていると聞いたことがあります。

 

軍の物資を自宅に持ち込み、不要になれば不法投棄するのか?

理由はよく分かりません。

 

密約を暴いた・・・

まあ、これ、密約といえば密約ですが、沖縄返還に附帯する事項のような気もします。

沖縄返還後も核兵器を常駐させるなどの「密約」であれば大騒ぎになったでしょう。

 

一般的に、どこの国家間でも「密約」は存在します。

当時の日本政府としては、沖縄を取り戻すことが優先課題だったので、

憲法に抵触しない範囲内で日本国民には非公開のグレーゾーンを設けたのでしょう。

 

日米の密約を暴いた元毎日新聞記者・・・。

「密約」そのものより

「如何にしてその密約を暴いたか」についてはwikiにも書かれている通り、

常識人なら眉を顰める行為ではないのか・・・。

 

その結果、毎日新聞は厳しい批判を受け、一時は経営が傾きかけたとか。

あまりにも酷い内容なため、ここには書きませんが、政府関係の一女性の人生を破壊してしまうほどのものであったこと。

たとえ密約暴露というスクープを手に入れたいとしても、人間としてやってはならない事ってあると思います。

西*氏を信用して機密を漏らしてしまうその女性も問題ですが、

「世の中の正義のため」とか、もっともらしいことを言われれば、女性が口を滑らしてもやむを得なかったかもしれませんね。

 

この密約、2000年代になってアメリカでは公開されていたそう。

つまり、アメリカにとってはトップシークレット級の密約ではなかったというか、

ある一定期間を過ぎ、請求があれば公開できるレベルの密約だったのでしょう。

 

日本政府は密約の存在を否定していた・・・。

そりゃそうでしょうね。

アメリカから許可が出るまで密約があったとか言えるはずないです。

 

それから、この「軍用地の原状回復補償費を日本政府が肩代わりする」という密約、日米関係というよりは「利権」が絡んでいるように見えます。

原状回復を特定業者に指定する=政治家に金が入ってくる・・・

こりゃ~政府としては何としても隠蔽したい「蜜」約でしょう。(笑)

でも、それほど重要ではない密約であったと考えられます。

 

他に、絶対漏れてはならないトップクラスの密約もあった。

日本政府としては、ゴミ同然の密約が漏れたものの、トップクラスの密約は漏れなかったので安堵・・・。

つまり、ハイエナ記者にはゴミ情報を与えておいて、他の機密を守る戦法。

西*氏は政府の策略にまんまと嵌り、ゴミ密約に飛びつき、自らも墓穴を掘った。

当時の政府関係者は笑いすぎて腹が痛かったでしょうね!

 

新聞社をクビになり、実家の事業を手伝うなどして糊口を凌いでいたそう・・・。

まさに天国から地獄。

でも、自業自得か・・・。

 

 

 

 

 

 

Yahooニュースより

 

・・・転載開始・・・

 

2/26(日) 12:15配信

 

QAB 琉球朝日放送

 

沖縄返還をめぐる日米の密約を暴いた、元毎日新聞記者の西***さんがおととい、心不全のため福岡県北九州市の高齢者施設で亡くなりました。91歳でした。

 

西*さんは、毎日新聞政治部記者だった1972年、沖縄返還に向けた日米の密約に関する機密文書を外務省の女性事務官に漏洩を働きかけたとして、国家公務員法違反で逮捕、起訴されました。

 

東京地裁は1974年、無罪判決を言い渡しましたが、高等裁判所で有罪となり、最高裁で1978年に有罪が確定しました。

 

西*さんは東京地裁の判決後に毎日新聞社を退社し、2005年に誤った判決で名誉を傷つけられたとして国に対し謝罪と損害賠償を求めて提訴しましたが、2008年に敗訴しました。

 

西*さんが報じた密約は沖縄返還に際し軍用地の原状回復補償費を日本政府が肩代わりするというもので、政府は密約の存在をかたくなに否定していました。

 

西*さんは2000年代に入り、アメリカの国立公文書館で相次いで密約の公文書が発見されたことから、積極的に講演や著書で政府批判の活動を行っていました。

 

沖縄にもたびたび訪れ、講演会や辺野古の座り込みの現場へも足を運んでいました。告別式はあす、北九州市内で家族や近親者で執り行われます。

 

・・・転載終了・・・