少しは理解できればいいなと思っても、
なあかかな親しめない書物。
それで地元の図書館で(違う用事で)呼ばれて寄った
手塚治さんのマンガの、『聖書物語』を。
昨日で3巻まで読んで、わたしがしあわせになってきた生き方を
軌道修正した方法を、解読していただいているような思いもいたしました。
わたしはかつて、いろんなセミナー・自己啓発の本を読み、
夢や人生の成功、しあわせを求めていた。
しかし家の中は、そんな学びをすればするほど、
言えない苦しみで、家族をしあわせにはできなかったのでした。
その頂点だったときに、崖っぷちで一本の道を敷いていただいて、
こころの師に出会って大変叱られ、突き放されてわたしの罪を知り、
学び(生き方)の方向を、まるで反対方向へと、修正してきました。
そのときから今まで数年間、
師にいただいた聖書の一部をこころの糧として、
教科書とし、戒めとして、また拠り所として
まいりました。
また「夢」、というものへの概念が(このマンガのごとく)変わり、
日々訪れる課題への取り組みが変わり、
大いなる流れのもと、家族の絆、お仲間との絆が財産なのだと、
様々の体験を通して、感じさせていただいたのでした。
そしてこの夏今一度、方向性を確認し、意味を理解しまた修正していくための、
こちらの本との出会いをいただいたのかなと
思います^^
なあかかな親しめない書物。
それで地元の図書館で(違う用事で)呼ばれて寄った
手塚治さんのマンガの、『聖書物語』を。
昨日で3巻まで読んで、わたしがしあわせになってきた生き方を
軌道修正した方法を、解読していただいているような思いもいたしました。
わたしはかつて、いろんなセミナー・自己啓発の本を読み、
夢や人生の成功、しあわせを求めていた。
しかし家の中は、そんな学びをすればするほど、
言えない苦しみで、家族をしあわせにはできなかったのでした。
その頂点だったときに、崖っぷちで一本の道を敷いていただいて、
こころの師に出会って大変叱られ、突き放されてわたしの罪を知り、
学び(生き方)の方向を、まるで反対方向へと、修正してきました。
そのときから今まで数年間、
師にいただいた聖書の一部をこころの糧として、
教科書とし、戒めとして、また拠り所として
まいりました。
また「夢」、というものへの概念が(このマンガのごとく)変わり、
日々訪れる課題への取り組みが変わり、
大いなる流れのもと、家族の絆、お仲間との絆が財産なのだと、
様々の体験を通して、感じさせていただいたのでした。
そしてこの夏今一度、方向性を確認し、意味を理解しまた修正していくための、
こちらの本との出会いをいただいたのかなと
思います^^