北海道に 行ってきた
道東と呼ばれる地域の中でも
東の果ての 海のそば
知床半島と国後島を望む
この場所は
秋になると
産卵のために 大量の鮭が
オホーツク海から 押し寄せる
その繁忙期だけ
浜沿いに いくつもある
水産加工場は 人を雇う
「シャケバイ」と 呼ばれる
季節労働の アルバイト
旅のついでに
女子友3人で 働いてみたのだけれど
その経験が とても良かった
20代の終わり
約2ヶ月間 暮らした
標津の町
いつか
再訪してみたいと 想っての
今回の旅
訪ねてみたかった 場所は
働いていた加工場の 向かいで
広大な湿原の 中にある
標津遺跡群
当時も
さらりと 見学はしたものの
その空間への 不思議さが残り
漠然と
あそこはいったい
何だったのだろうと
ずっと頭の片隅に
この場所には
一万年前もの昔から ずっと
人が鮭漁をしていた 痕跡があり
出土する その鮭骨の多さから
秋の時期だけ 人が集まり
漁のための 村ができて
さらに ここで加工をして
越冬のための食料を作り
各村に 持ち帰っていたであろうと
考古学者は 推測している
この地に集まる人を支え
何千年も 湧き続けている水
一定の温度で 冬も凍らない
知床連山の伏流水
鮭は
湧水がある川床に 産卵するのだとか
この湿原一体は
人が入ってくる以前から
巨大産卵場所 だったのだろうな〜
産卵場所ということは
ここで 多くの命が産まれたということであり
さらに
鮭は産卵が終わると 息絶えるため
多くの命が あちらへ還って行った場所
ということ
何千匹という魚が
何千年も
いや もっとかな?
それは 特別な空間ができるわけだ
三年も四年もかけて
アラスカの海から 帰ってきた
港から届いた鮭たちは
体長60〜80cm
大きいもので4〜5kg
漁師は 超かっこいいし
おばちゃんたちは
明るく 優しく たくましかったし
残念ながら
勤めていた加工場は 廃業
それから 数年後に
秋鮭の漁獲高が 激減
今年は ニシンが大漁なのだとか
人と海の営み
そんな古代から続く
この地の 鮭にまつわる文化の一端に
自分も入れてもらっていたという
こそばゆい誇り
そして感謝
*ここにも(多分)糸魚川の翡翠が来ている
道東で
爽快に感じるのは
空間に 人間の気配がほとんどなく
自然の気配が濃厚なこと
また 日本の
ナントカのミコト系の
神様の 気配もなくて
山なら 山の神様だし
水なら 水が神様だし
草も木も 動物も
そのまま 見えない存在が
山なら山の 偉大さと神聖さ
河なら河の その姿で そこにいる ある
そんな感覚
それを
「カムイ」と呼ぶのか
よくわからないけれど
けれども
ダイレクトに
その存在を 感じられることは
北海道の旅の喜びだなぁと 思う
アイヌ民族には あの世がない
と 聞いたことがある
和人の民俗学者さんからなので
アイヌの方からすれば
ちょっと違う・・ となるかもしれない
執着は
命の循環の枠から
はみ出ることなので
よくないことと 考えられていたよう
執着を嫌い 貯蓄はせず
必要最低限のもので 暮らし
誰かが 亡くなれば
その人の 家から持ち物から
全て燃やしてしまっていたのだと
この 標津遺跡群にいた
オホーツク文化や
トビニタイ文化人 と言われる人々
彼らの精神文化も きっと
同じような考え だったのかもしれない
もう少し詳しく知りたい方は
こちらの記事 おすすめ
北海道の 旅日記 続きます
new!
つながるツアー
「信濃大町 秋の芸術祭 リトリート」
2024年 11月1日(金)〜2日(土)
紅葉の長野で
北アルプス国際芸術祭を巡る ミニリトリートです
詳細は しばらくお待ちください
石読み + 旅薬