~縄文時代~ 

 

1万2000年前 縄文時代が始まる

           縄文土器を作り、たて穴住居に住み、磨製石器を使った

           その他 抜歯、屈葬、土偶

 

~弥生時代~

 

紀元前四世紀  弥生時代が始まる

           稲作が伝わりむらを作って定住するようになり高床倉庫に米がたくわえられた

          青銅器や鉄器が伝わり、弥生土器(赤褐色)が作られる

弥生時代は   吉野ケ里遺跡(佐賀)、登呂遺跡(静岡県)で有名

 

~古墳時代~

 

3世紀ごろ    大和政権が生まれ、古墳がつくられ、中でも前方後円墳が中心だった

           この時代を古墳時代という 埴輪が作られた

6世紀ごろ  朝鮮から渡来人がやってきて、須恵器、漢字、仏教を伝える

         蘇我氏(仏教に賛成)と物部氏(仏教に反対)が仏教を受け入れるかで対立した

         蘇我氏が勝利した

 

~飛鳥時代~

 

592年 推古天皇(女性)が飛鳥で即位し、聖徳太子がその政治を補佐した

603年 聖徳太子が冠位十二階を定める

604年 聖徳太子が十七条憲法を定める

607年 遣隋使として小野妹子が送られる

6~7世紀 飛鳥地方(奈良盆地)に都があった時代を飛鳥時代という

        この時代に栄えた文化を飛鳥文化という

        聖徳太子は法隆寺を建て、法隆寺の中には釈迦三尊像弥勒菩薩像がある

622年 聖徳太子が死亡

628年 推古天皇が死亡

      聖徳太子と推古天皇が死亡したことにより蘇我氏が独裁政治を行う

645年 中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我の蝦夷・入鹿を滅ぼす

この出来事を乙巳の変という

また、この年に「大化」と年号が定められたことから大化の改新ともいう

646年 豪族が支配していた全国の土地や人民を国家が直接支配するようになる

      このことを公地・公民という

663年 中大兄皇子が朝鮮に大軍を送ったが唐・新羅の連合軍に敗れた

      この戦いを白村江の戦いという

      この戦いの後、北九州に太宰府を置き、防人という兵士を送った

668年 中大兄皇子は即位して天智天皇になった

 

紀元前5000年 黄河と長江流域にメソポタミア文明がおこる

            稲作が行われ、甲骨文字や青銅器が作られる

紀元前3000年 チグリス川とユーフラテス川流域にメソポタミア文明がおこる

            楔形文字が使われ、太陽暦が作られた

紀元前2500年 インダス川流域にインダス文明がおこる

            象形文字が使われ、モヘンジョ・ダロが作られた

紀元前16世紀 殷がおこる(現在の中国)

紀元前11世紀 周が印を滅ぼし中国を統一

紀元前8世紀 春秋戦国時代が周の時代に始まる

       ギリシャ人がギリシャ文明を築き、アテネ、スパルタなどの都市国家(ポリス)を建設

紀元前6世紀 孔子が現れ儒学を説く

          秦が中国を統一し始めて皇帝を名乗り(始皇帝)、万里の長城を築く

紀元前5世紀 釈迦が仏教を説く

紀元前4世紀 マケドニアがギリシャを征服し

紀元前2世紀 漢が中国を統一しシルクロード(絹の道)を作る

220年 魏・蜀・呉の三国が争う三国時代が始まる

      魏の歴史書「魏志倭人伝」には倭に邪馬台国が存在し、

女王卑弥呼が魏に朝貢し親魏倭王の称号と金印をもらったと記されている

4世紀 新羅と百済がおこる

589年 隋が中国を統一し中央に権力を集中させ、律令の決まりを定めた

6世紀  ムハンマドがコーランの教えに従いイスラム教を開く。またメッカを征服する660年 百済が滅びる

668年 高句麗が滅びる

676年 新羅が朝鮮統一

671年 天武天皇がなくなり、弟の大海人皇子と子の大友皇子が対立した

この出来事を壬申の乱という(大海人皇子が勝利)

      大海人皇子は即位し、天武天皇になり都を奈良に移した

690年 天武天皇がなくなると天武天皇の皇后の持統天皇が即位した

701年 藤原不比等が大宝律令を制定する 律は刑罰の決まり 令は行政の決まり

      都は5つの国と7つの地方に分けられた このことを五畿七道という

      中央は、神祇官と太政官に分かれ、地方は、国・群・里に分けられ、

国には国府という役所に国司が派遣され、群には郡司が派遣された

708年 都で和同開珎が使われるようになる

天武天皇から持統天皇までの時期の唐の影響をうけた仏教文化を白鳳文化という

 

~奈良時代~

 

710年 奈良盆地の北部に平城京が建てられる(唐の都の長安を手本に作られた)

723年 三世一身の法を出し、開墾した土地は三世まで自分のものにしてよいとした

724年 聖武天皇が即位する 光明皇后とともに仏教の力で国を安定しようとする

741年 聖武天皇光明皇后ごとに国分寺と国分尼寺を、には東大寺を建てた

743年 墾田永年私財法を出し開墾した土地は永遠に私有してよいとした

      公地公民は崩壊し、貴族などは、荘園を広げていった

752年 東大寺に大仏を完成させる(行基が協力)

756年 聖武天皇死亡

784年 桓武天皇が即位

      山城(京都県南部)に長岡京の建設をする

奈良時代の人々の生活

身分制度・・・良民と賤民に分けられ、良民の中の貴族は税が免除された

税制・・・班田収授法6年ごとに作る戸籍をもとに口分田が与えられ収穫に応じて税を納めた

     税は3種類あり、祖(収穫の3%)庸(麻の布)調(特産品)だった

生活はとても苦しく「貧窮問答歌」に表れている

文化・・・平城京を中心に唐や仏教の影響を受けた国際色豊かな天平文化が栄えた

シルクロード(絹の道)からもたらされた工芸品は正倉院に収められている

日本の成り立ちを記した「古事記」「日本書紀」や地方ごとの産物を記した「風土記」が書かれた

また、歌集として万葉集(山上憶良、防人)が作られた

 

~平安時代~

 

780年 蝦夷(東北地方の朝廷に逆らう集団)が多賀城を攻撃する

794年 桓武天皇が京都盆地に平安京を建設 ここからの時代を平安時代という

787年 桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命する

804年 最澄が天台宗を開き、比叡山(滋賀と京都の間)に延暦寺を建てる

      空海が1真言宗を開き、高野山(和歌山県)に金剛峯寺を建てる

806年 桓武天皇が死亡

894年 遣唐使に任命された菅原道真が遣唐使の派遣を停止する

935年 北関東で平将門が反乱を起こす(平将門の乱)

939年 瀬戸内海地方で藤原純友が反乱を起こす(藤原純友の乱)

9世紀後半 藤原氏が摂関政治(天皇が幼い時には摂政に、成長すると関白)

        また、娘を天皇の后にし、その子を次の天皇にすることで権力を高めた

1068年 藤原氏との関係が薄い後三条天皇が即位したことで、摂関政治がおわる

1086年 白河上皇は上皇になり、摂政や関白の力を抑えて政治を行い、

武装した僧(僧兵)を抱え勢力を拡大した

       上皇になってから行う政治を院政という。鳥羽上皇、後白河上皇が行った

10世紀 武士が現れ、地方と都の行き来を通し武士団をつくるまで成長する

      源氏と平氏(天皇の子孫)が有力だった

11世紀後半 東北地方で前九年合戦・後三年合戦がおこる 

※源義家が沈めて東日本で権力を持つ

東北地方では、平泉(岩手県)に拠点を置く奥州藤原氏が力を持った

1156年 京都で平清盛・源義朝・後白河上皇が崇徳上皇を破る これを保元の乱という

1159年 京都で平清盛が源義朝を破る これを平治の乱という

1167年 平清盛は武士として初めて太政大臣になる

       各地の公領(国司の支配する土地)を支配し、多くの荘園が集まった

       兵庫(神戸)で日宋貿易を行った

1179年 平清盛が後白河上皇の院政を停止する

1181年 平清盛が死亡

1185年 伊豆(静岡)の源頼朝は、弟の木曽(長野)の源義経を派遣し

壇ノ浦の戦い(山口県)で平氏を滅ぼす 

12世紀前半 瀬戸内海の海賊を沈めた平氏が西日本で力を持つ

平安時代の人々

文化・・・遣唐使を派遣しなくなったことで日本風の国風文化が栄えた

仮名文字が作られ、紀貫之「古今和歌集」 紫式部「源氏物語」 清少納言「枕草子」(随筆)

信仰・・・念仏を唱えて、阿弥陀如来に極楽浄土へ生まれ変わることを願う浄土信仰が広まる

     阿弥陀如来像が各地に作られ、その中で有名な平等院鳳凰堂(京都)が作られた

 

~鎌倉時代~

 

1185年 その後、源頼朝と源義経が対立した頼朝は、国ごとに守護、荘園・公領ごとに地頭

置くことを朝廷に認めさせ、鎌倉幕府を開いた。これ以降の時代を鎌倉時代という

奥州藤原氏と源義経を滅ぼし、全国を支配下に置いた

1192年 源頼朝は征夷大将軍に任命された。

      将軍に忠誠を誓った武士を御家人と呼び、将軍と武士は御恩と奉公で結ばれていた

1199年 源頼朝が死亡

1213年 頼朝の妻の北条政子の父北条時宗が執権に就任する

       この北条氏の政治を執権政治という

1221年 源実朝が暗殺されたのをきっかけに京都の後鳥羽上皇は幕府倒そうと兵をあげた

       しかし幕府の大軍に圧倒され、後鳥羽上皇は隠岐(島根県)に流された

       この出来事を承久の乱という。

この戦いを機に幕府は京都に朝廷を監視するため六波羅探題を設置した

1224年 北条泰時が表情と呼ばれる会議を設置する

1232年 北条泰時が評定での判断の基準などの御成敗式目(貞永式目)という法律を定める

鎌倉時代の武士

・武士の一族は惣領を中心に団結し、領地は性別にかかわらず分割相続していた

・武士の名誉を重視し恥を嫌う心構えを「弓馬の道」「武士の道」という

・地頭の武士は、勝手に村を支配したことでたびたび領主と争いが起きていた

幕府は評定で地頭の武士に土地の半分を与えた このことを下地中分という

 

鎌倉時代の産業の発達

・鉄製の農機具が普及し二毛作(夏は稲、冬は小麦を栽培する)や

・商品作物(市場での販売を目的とする作物のこと)が栽培されるようになった

・定期市が開かれるようになり、同業者組合の座を結成した

・宋銭が広く使われるようになった

 

鎌倉時代の文化

鎌倉時代は、武士を中心とした、素朴で力強い文化の鎌倉文化が栄えた

・軍記物語の代表として「平家物語」(琵琶法師という盲目人々によって広まった)

・後鳥羽上皇の命令によって藤原定家が「新古今和歌集」を編集

・彫刻では、運慶が東大寺南大門に金剛力士像を作った

 

鎌倉時代の宗教

・法然が阿弥陀如来を信じ南無阿弥陀仏を唱えると極楽浄土に行けると説き浄土宗を開く

・親鸞は阿弥陀如来を信じ念仏を唱える浄土真宗を開く

・一遍は踊念仏を踊る時宗を開く

・日蓮は南無妙法蓮華経を唱える日連取を開く

・栄西は宋から学んだ座禅を組み悟りを開く臨済宗を開く

・道元は宋から学んだ座禅を組み悟りを開く曹洞宗を開く

 

1274年 博多湾(福岡県)に元が上陸し集団戦法やてつはうで幕府軍を苦しめた

             この戦いを文永の役という

1281年 再び元軍が襲来するも御家人の活躍や石塁で、元軍は上陸出来なかった

             この出来事を弘安の役という

           文永の役と公安の役の二回の襲来を元寇という

1297年 幕府は元寇により、御家人に十分な御恩を与えられず御家人の不満が高まった

北条貞時が永仁の徳政令を出し、御家人の借金や売った土地をただで返させた

             しかし逆に経済が混乱し御恩と方向の関係で結ばれていた主従関係が揺らぎ、

            悪党(荘園領主に従わず、武力で年貢を奪う武士)が現れた

1318年 後醍醐天皇は政府を倒そうとするが敗れ、島根県(隠岐)に流された

1333年 後醍醐天皇は楠木正成、足利尊氏、新田義貞らとともに鎌倉幕府を倒す

1333年 後醍醐天皇は貴族を重視する建武の新政を始めるが、武士の不満が高まり崩れた

 

 

 

 

私は中学三年生の受験生です。勉強がてら、ここに書き込んでいます。

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