本日は土俵祭の日でした。

 

明日からの安全をお祈りして。

 

いよいよ熱戦15日間

 

五月場所がはじまります。

 

 

この前大阪場所が終わって

春巡業があって、、、だったのに。

、、、早い

 

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五月場所前に振り返る

行司さん特集。

 

今回は大阪場所以外の様子も含めつつの、、、

こちらの御方↓↓

式守与之吉さんです。

 

幕内格行司

宮城野部屋所属

宮城県出身(育ちは東京のようです。)

 

「式守與之吉(与之吉)」は行司名跡のひとつです。

初代は天保年間(1800年代中頃)に遡る、後の7代式守伊之助。

この記事の与之吉さんで10代目になります。

 

式守與之吉」を名乗る者は、後に「式守勘太夫」を襲名することが多く、

実際に代~10勘太夫與之吉の名を経ています。

 

ちなみに11代は

式守與之吉を経ず、木村和一郎から

イキナリ式守勘太夫なられました。

 

そう、、、

 

現在の41代式守伊之助さんです。

 

 

式守与之吉さんは

かつては

12代式守与太夫

という名跡を名乗っておられました。

 

式守勘太夫式守錦太夫とともに「三太夫」と呼ばれ、

木村庄之助式守伊之助に準ずる由緒ある名跡です。

 

しかし

 

“入門時にお世話になった先輩(8代式守與之吉→9代式守勘太夫)

の名を継ぎたい”

 

というご本人の意志により、

式守与之吉に改名されたのでした。

 

これは上記のごとく、

與之吉→将来的に勘太夫襲名を希望してのことです。

 

ちなみに歴代襲名者は旧字体の「與之吉」ですが、

当よのきちさんは、「与之吉」と表記します。

 

 

さて

与之吉さんは

平成29年の冬巡業中から体調を崩され、

平成30年1月~9月場所までの5場所を

休場されておられました。

 

その後、ご病気を克服されて

平成30年9月末より<日馬富士関引退相撲

見事に土俵復帰を果たされたのでした。

 

一枚目の写真は

待ちに待った、復帰後の秋巡業でのもの

中継よりも先に、目の前で実際の御姿を拝見できたという、、、。

 

 

 

本場所復帰は11月、九州場所からでした。

秋巡業から引き続き

復帰を機に新調されたという

雷鳥軍配」を使用されておられました。

 

ご病気による握力の低下から、

所有されている軍配の中では最も軽量の

500グラムに作られているそうです。

 

実用面でお体を支えながらも、

非常に美しい一品です。

 

 

初めて目にする

本場所土俵での与之吉さんの御姿。動き。声。

拝見できて本当によかった、、、。

 

 

 

続く月、初場所。

この日は偶然にも装束が先場所のものと一緒でした。

並べて貼ってみて初めて気づきました笑

 

軍配は別のものも、並行して使用されていました。

 

 

 

そして月、先大阪場所。

与之吉さんは

装束の美しさでも目を奪われます。

 

を掛け合わせたような

上品な紺鼠(こんねず)の色。

 

紋様は

?の「二頭波(二頭立浪)」紋。

 

二頭波

美濃(現岐阜県)の戦国武将、斎藤道三

自ら考案し、使用した家紋です。

 

装束の由来や与之吉さんと関係あるのかはワカリマセン、、、。

 

 

 

余談ですが、、、

与之吉さんの装束といえば!

水玉装束↑↑が有名です。斬新でお洒落!

 

こちらは

仙台藩の初代藩主、伊達政宗所用と伝えられる

水玉模様陣羽織」のデザインがモチーフとなっています。

※近年では政宗の時代よりも下る、江戸中期の作成とみられているそう。

 

仙台藩=現宮城県は与之吉さんのルーツでもあり、、、。

 

郷土に因み、伊達政宗がお好き

ということから

「与太夫さん」時代に贈られたものだそうです。

 

 

蝮の道三独眼竜政宗

与之吉さんは戦国武将がお好き??

 

 

 

話しは大阪場所に戻って、、、

この日はピッカピカのシルバー装束。

ピカピカ、キラキラで、とにかくキレイ。

派手なのにお上品。与之吉さんにとってもお似合いでした。

 

軍配は初場所でも使用されていたもの(上記初場所写真と同じ)。

大阪場所では、15日間この軍配を通して使用されていた、、、

気がします。気がします。気がします、、、。違ったらごめんなさい。

 

表面には

「雲と龍」の絵図。

 

裏面には

四つの文字。

 

「 一瞥無心 」(いちべつむしん)

という文言のようです。

 

「一瞥」とは

“ ちらっと見ること。ちょっとだけ見やること ” の意。

 

一瞬一瞬、ほんの僅かな瞬間をとらえ、冷静に、公平に

土俵を裁かれる行司さん。

 

この文言には

与之吉さんの裁きに対する心得や

行司道への思いが込められているのでしょうか、、、。

 

 

 

 

さてさて!

五月場所を前に、大きな大きな知らせが!!

4月30日の番付発表にて、、、

 

与之吉さんが

 

12代式守勘太夫を襲名されました!!

 

 

新番付には

与之吉改 式守勘太夫」と記されています。

 

 

かねてよりの念願であり、思い入れの深い

勘太夫」の襲名が、とうとう実現したのですね。

 

 

 

春巡業にて、「一瞥無心」軍配とともに。

ありがとうございました。

 

 

 

式守与之吉さん

改メ

式守勘太夫さん

 

 

 

本当におめでとうございます。