いいハモリだ〜



なんか最近、人様のつらい話を見聞きすることが重なってさ

悲しくてやりきれないよ


スピリチュアルの教えとしては、それぞれが自分に必要な体験をしているだけ、最善のことしか起こっていない、なんだけどさー


その時のプレイヤーとしては苦しんでいるわけでさー

あるいは苦しんでなくても「クソまみれになりながらも良かった探ししてる」みたいな痛々しさがあったりさー

まずその肥溜めから出て欲しい…っていう


まあでも本当に私にできることはない

私が体を動かしてどうこうなることではない

それぞれの選択を信頼するしかない

それぞれに必要な体験だし、長い目で見れば良いことだと信じるしか



結局、他の人に何か言いたい時って、自分がお留守になってるんだろうな

自分の課題から目を逸らしたいから、身の周りのセンセーショナルっぽい事件に自ら関心を持ちにいってる


息子のこともやや苦々しく思ってるもんな

これも自分から目を逸らすためなのかも


中2の息子、春からずっと朝起きられなくなってる

勉強への意欲はダダ下がり

心配だし、「早起きするには早寝しろ」「少しずつでも宿題を進めろ、後がつらいぞ」と言いたい


でも言ってない

息子はすでに「したらいいことは知っているけどそれを上回るめんどさしんどさによって放棄してる」状況だから


それになんか、言うなら自分を整えてからにしたい

「因果関係考えろ」「少しずつでもやり続けろ」なる小言、自分ができてない自覚があって、これこそが自分が目を逸らしたい事象である気がする

具体的には「今までと同じ行動をしているのに体重が減るはずがない」笑


色々考えてやってるけど全然痩せない

行動して望む結果が得られてないことが嫌になって、最近はなんも気にせんと生活してて、さらに体重増やしたりしている泣


こんな時に「摂取カロリー<消費カロリーを心がけろ」「適度な運動をしろ」などと言われずとも解ってる説教されたくない

息子の状態と相似形なのよねえ


自分ができる状況になったら、つまり生活を整えて痩せる行動をルーティンに組み込んで痩せはじめたら、その時こそ息子にも説教めいたこと言おうかな


でもそんな頃には「息子の問題」は消えている気がする

そういうもんだよ

不思議だけど