Niwabasse 丹羽仰之のブログ

丹羽仰之(にわこうし)


1965年東京生まれ

18歳の時よりベースを弾き始める。

80年代中頃より、レゲエをきっかけに、ブラック・ミュージックに傾倒。

84年頃、ザイ-ル(現コンゴ民主共和国)の音楽に出会う。

88年より2000年までに、計7回、パリのザイ-ル人コミュニティを訪れ、現地のミュ-ジシャンと演奏する機会を得る。

92年から93年にかけて、当時、大人気を誇ったバンド、ヴィクトリア・エレイソンのミュ-ジシャンのレコ-ディングに参加。平行して、日本で、在日ザイ-ル人を中心とした数々のアフリカン・バンドに参加。

96年、ザイ-ルの首都、キンシャサを訪れ、現地の人気バンド。アンティ・ショックのコンサ-トに参加。

2001年よりパリに活動の拠点を移す。

2011年現在、、La Musica Act 2、Makutanu、Bantunaniの3つのバンドに所属。他、様々なセッションにても活動中。


主な共演ミュ-ジシャン


コンサ-ト

Tabu Ley、Madilu Syatem、Bozi Boziana、Zao、Stino、Adolphe Dominguez、Empire Bakuba、Ballou Canta & Luciana


デイスク

Djo Nolo、Cartouche(Emeneya参加)、Rodgens(Papa Wemba参加)、Aurlus Mabele、Empire Bakuba、Ricoco、Elba Top-A、Laudy De Mingongo、Bantunani、Edocha M、Mamu(BB Mo-Franck)

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ポポリポの知られざる過去 (2)

「オレをViva La Musicaに連れて行ってくれたのは、(当時、メンバ-だった) Esperant Kisanganiだった。オレが入った時の Viva のソリストは、Huit Kilos と Bongo Wende で、何曲か、新曲のレコ-ディングが決まってたんだけど、もうレパ-トリ-は彼らで振り分けられてたんだ。だからオレは、コンサ-トのために、古い曲の練習から始めた。

やっとレコ-ディングの話が来たのは、それから数ヶ月経ってからのことだ。Eulu Ya Claita っていう奴が、曲を持って来た。奴は、まぁパトロンだな。金持ちだよ。それで、レコ-ディングしたのがBotika Tembeって曲だ。でも、オレがVivaでレコ-ディングした曲は、この1曲だけだった。

 

 

 

ある日、Emeneyaがオレの家に来て、『これから、大事なミーティングがあるから、来て欲しい』って言うから、奴と一緒に行ってみると、そこには、Papa Wemba以外のVivaのミュ-ジシャン全員が居た。全員だよ。何が始まるのかと思ってると、『Papa Wembaにはもうついて行けない。オレたちだけのバンドを作る』っていう話だったんだよ。盛り上がってたなぁ、『これからはオレたちの時代だ』ってね。で、次の日もミーティングだって言うんで、行ってみたら、何人か減ってる。その次の日も何人か減ってて。早い話がビビった奴がいたってことだな。ビビって、すぐにVivaに戻っちゃったんだ。これは後になってから聞いたんだけど、ウエンバにチクった奴がいたらしい。で、結局、ほとんどの奴が元の鞘に納まっちゃって、何てことはない、残ったのは、オレと Emeneyaと、あとは数えるほどだったよ。これじゃ、バンド旗揚げもくそも無いよ。お粗末なクーデターさ。で、オレは、話がポシャっちゃったからって、だからといって、戻る訳にも行かなくてなぁ。だって、考えても見ろよ。オレは、Vivaに入って、半年でやめて、それで行った先が駄目になって、またすぐに戻るって、そういうわけには行かないだろう。戻ったところで、当分、冷や飯食わされるのは分かってたからな。

 

 

 

それからどれくらいたった頃だったかなあ、Verckysが新しいバンドを始動させるって話が来たんだ。Zaikoをやめた歌手のEvolokoとギタリストのRoxyが中心だってことらしいんだけど、オレに「お前も来ないか」と。なんかEmeneyaも加わるらしいって言ってたな。」

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