氏原寛・成田善弘編『転移/逆転移 ―臨床の現場から』(1997・人文書院)


李敏子

サールズが「患者には治療者を治療しようとする欲動がある」と述べている・・・(94.1)

たとえば境界例の人は、他人に合わせすぎる傾向がある。もともとは親に合わせすぎ、振り回されすぎて、自分というものが育っていないのである。そのため極端に幼稚で未熟なところと、つねに人に合わせ配慮してしまう大人びたところを併せもっている。治療者に対しても「配慮の人」である。このことは、境界例の人が衝動的で行動化しやすいという印象と合わないかもしれない。しかし実際には、治療者の前で「よい子」であり、治療者に対して配慮しすぎて自分自身を出せない結果、不満とイライラが募り、なにかモヤモヤして行動化してしまうのである。(.96.1)


藤原勝紀

「実地に練習したい」と自ら診察台に仰向けになり「腹部が温かくなるように手のひらで触れてほしい」と要求した。(140.6)

おそらくすべての面接関係で、程度の違いはあっても転移/逆転移現象が展開しているに相違いない。多くの事例では、適度に肯定的な信頼関係の様相のままで被面接者が自ら修正体験をして終息させているものと思われる。その終息させる主体の内的な力量は、面接関係についての現実吟味力であり、自我の強さとか健康さとか自然な発達力などとよばれている「自然な自己回復機能」ということになるであろう。その基底には、未分化で心身相関的な混沌とした内界それ自身が備えている、人間の心のナチュラリティへの方向性が存在するのではないかと思われる。(142.15)


横山博

サミュエルズはこの逆転移の問題を、フォーダムの定義「幻想的逆転移 」と「合調的逆転移 」を引き合いに出しつつ、二つに分けて論じている。前者は、治療者の心理的諸問題が治療に悪影響を及ぼすばあいで、治療者自身が分析を受けることで解決しなければならない性質のものである。後者は、患者の側からの転移に反応した治療者の逆転移で、治療に役立ち、とくに人格障害や精神病圏の人の治療においては大事なこととなる。(163.14)

・・・いつもはかける必要もない眼鏡をかけていた。私が近づいて行き「どうしたの」と声をかけるやいなや、堰を切ったように泣きはじめ、「わたしが世界を直接見ると世界が壊れるのです」と世界没落体験の不安を語った。(167.18)

このことについて河合は次のように語っている。/転移・逆転移というときに、父・息子、母・息子、恋人、友人などなどの人間関係にあまりこだわる必要はない。むしろそのようなときには浅いものになり勝ちな気がするのである。イメージ的表現をすれば、クライエントと治療者とが横につながるのではなく、両者ともそれぞれの深みへとつながっていくことによって、つながる、という感じなのである。(171.9)

これは先述の河合の言葉を借りれば「深みへとつながってゆくことによって、つながる」ことでもあり、サールズの言葉を借りれば「治療的共生」ができていて、なおかつ個別化に成功しているともいえよう。そのことが成立するためには、ふつうの規範を超えた「枠の破り」がきわめて意味深かったと思われる。・・・後者のばあいは、転移/逆転移を超えたところに関係の地平が開かれている、といっても過言ではない。「転移/逆転移はないにこしたことはない」と語るユングの意味はこのあたりにあるのであろう。(174.1)


岡田敦

外国で個人分析を受けられた方の話では、それは相当強烈な転移感情をともなうらしく、「寝ても覚めても、いつも頭の横に治療者がこびりついている感じで、たしかに強い恋愛感情に似ている」類のものであるという。もしそれが週一回の対面の面接で早期から起こるようなら、それは境界水準以上の重篤な自我障害を疑わせる指標ともなる。(189.3)

またときとして、転移/逆転移関係のもつ相互性ゆえに、治療者も一過的に精神病水準にまで陥ってしまうような体験に近づくこともあり、それによってのみ患者が生かされ癒されることすらあることも知っておきたい。(192.18)


鈴木龍

彼女は分離や喪失の不安に対して、理想化された母親像との同一化で対処してきたと思われる。(201.19)

こうした観点から彼(ウィニコット)は、治療においては分析家が患者の攻撃を生き残ること、すなわち「攻撃に報復しないこと」が重要であると強調するのである。攻撃だけでなく、治療者が患者の不安や要求・行動化などの圧力に対して治療者としての立場を失ってつぶれてしまうならば、それは生き残ることにならない。患者は治療者の生き残りによって、攻撃によって破壊されたり報復的になる対象は空想的な主観的対象であることを発見するのである。(208.15)