前回の北相木編から1年以上開いてしまった…

(普通に仕事で忙しかったのもあるが、アメブロで投稿する際にすべての画像を程よくリサイズしなくてはいけない作業があるため億劫で筆が進まなかった)

 

とりあえず、前回の北相木編と同じく2017~2019年の3年間、GWに北相木村と南相木村へ旅行していたのでその思い出を書き残しておこうと思う。

 

 

北相木村から移動し南相木村へ。

大ひれ橋を渡り、大鰭トンネルを越えると南相木村。

北相木村の相木荘から大体3.2kmで、徒歩50分くらい。

 

まずは郷社 諏訪神社。

神社内部

本殿

 

そして本殿すぐ近くにある、南相木村の名木に指定されている欅。

 

そしてそこから視点をちょっとズラすと…御三甕(おみか)の滝の立て札が。

 

ここから歩いて200mで着くらしいので行ってみる。

ちなみに1~2年目はスニーカーだったし、3年目はタクティカルブーツ。

入口の立て札にもある通り、なかなかの斜面で足元滑りやすいので気を付けながら降ります。

(道幅狭いし、落ち葉などで結構滑る)

 

下まで降りるとこの景色。滝の音と飛沫によるマイナスイオンを感じられる。実に爽やかな空気。

 

下に降りてすぐの滝を見るのもいいですが、私はこのトンネルの中から見るのもオススメします。

こういうトンネルって、ちょっと冒険してるみたいでワクワクしますよね。

 

このときの一連は動画込みでTwitterにUPしていたので、ツリーで見ることができます。

 

 

御三甕(おみか)の滝の次は南相木村の中心、村役場へ。

 

役場の前には「相木市兵衛依田昌朝入道 能登守常喜居城史跡」と「山中鹿之助幸盛公生誕の地 資料館」の看板が。

 

この看板から少々離れているこの建物が資料館のようだ。

話を聞いたところ、依田武勝さんという方が私設で建てた看板と資料館とのこと。

 

資料館はちょっと気になったのだが、このときは他のアポがあったため先に公民館へ。

 

役場にも公民館にも「菊池彩花選手 おめでとう」の幟があると思うが、2018年平昌オリンピックのスピードスケート女子チームパシュートで金メダルを取ったためだ。姉妹である菊池悠希選手と菊池純礼選手も同じくオリンピック日本代表として出場している。

これだけで2018年の際の写真だと分かるやつw

 

少し横道に逸れますが、実はランチに立ち寄った村の飲食店『PachaMaMa』はこの菊池選手たちのお母さんが経営しているお店。

お店の中にも祝福が溢れていました。

 

整頓されていて柔らかい雰囲気の素敵な店内。

 

店内だけじゃなく、料理も人もとても素敵。

私のお気に入りは無添加ソーセージ。うまみがギュッと詰まっていて、これとビールが最高に美味しい。

村の野菜と空気も相まって極上なんです。ヨイショじゃなく、本当に。

 

このお店のオーナーである菊池さんは、今回私が南相木村に家系調査で訪れたということを聞き色々とお話させて頂きました。

菊池氏は『全国菊池の会』なるものがあるとか。いいな、、、

また、スケーターである娘さんたちのことや、旦那さんが元南相木村の村長さんであることや、八ヶ岳高原ヒュッテで働いていたこともあるらしく、そのことなどなど…etc

南相木村に行く際は絶対に立ち寄りたいお店です。

 

 

さて、公民館に着いたところに戻ります。

南相木村へ訪ねる前に、予め村の教育委員会へ連絡を入れていました。

 

それはこの建物へ入るため。

南相木村民俗資料館。

 

立派な茅葺屋根の建物。

元々はここが村役場だったようで、村役場になる前は学校だったとか。

茅葺屋根の保存は職人が少ない現代ではかなり大変だと聞いている。

 

資料館の中には南相木村で実際に使われていた品々が保存されている。

馬鞍に吹子などの仕事に使う道具類や、食器やアイロン、スケート靴などの家庭で使う道具類。

そして資料館のど真ん中には、村芝居で使われていた廻り舞台がある。

 

 

廻り舞台の上には、当時演目として演じられたであろうシーンの再現人形が置かれています。

 

ここは舞台を見るための席…ではなく、黒御簾的な場所かな?

 

ちなみに廻り舞台の下に行くこともできる。

こういう当時の舞台の裏を見る機会というのはとても貴重。

舞台に人形を展示しているので実際に動かすことはできません。

 

それと上に展示されていない昔使われていた道具類なんかも置いてあったりする。

案内してくれた教育委員長が「皆資料にどうだ?って持ってきてくれるんだけど、物が多くてなかなかね…。だからここ見られるのはちょっと恥ずかしいな(笑)」なんてお茶目なこと言ってました。

 

 

民俗資料館を出たところで、教育委員長と村の方がお話をしており「うちに来てみる?」とのこと。

なんとその村の方のご自宅は江戸時代からの建物をそのまま保存しており、歴史が好きな方なら是非どうぞと言うことでお邪魔させて頂きました。

 

もう凄すぎて、わぁ…しか言えない。

解説札が付いているが個人宅です。

 

 

各部屋も凄いんですが、襖などにも目が行く。

少しわかりにくいと思うのですが、水に入って争う騎馬武者たちが描かれているんです。

一方の武者の旗に平四ツ目紋が描かれていることが分かる。

 

他にもこんな襖があったり

 

見事な柄の天袋だったり

 

古短刀の由緒書だったり

 

掛け軸や南相木学校校歌などが飾られている。

 

 

このお宅の主である猿谷さんから色々お話をお聞きしながら、各部屋を案内してもらいました。

馬や鶏と共に住む家であったことや、昔は病院ではなく民家の中にお産部屋があること、2階の部屋は窓に格子が掛かっているため押入れに隠し通路があり、火事などの際はそこから逃げることができること。

そして、この猿谷一族は古くは諏訪神社の神主さんの家系で、何代か前からは教育者としてこの古民家を見に来た学生に説明したり、宿泊学習として寝泊まりさせたりしていたそうだ。

 

(だから解説札が付いていたんだ…納得。)

 

向かいの蔵も大変古そうで、養蚕で使う道具を見受けることができた。

色んなものが有りすぎて、椿園文庫の看板については聞き忘れてしまった…(苦笑)

 

また、突然伺ったのにも関わらず手作りのパウンドケーキとお茶も頂き、何度お礼を言ったか分からない。

この村に来てから、人ってあったかいな…と沁々噛み締めた。

 

 

猿谷さんにお礼を言って別れた後、教育委員長に連れられて新海三社神社へ。

 

本殿を取り囲む社殿の屋根は後から作られたものとのこと。

鳥居も本殿に比べて新しい感じがしたので、屋根と同じくらいに作られたものなのかな?

 

 

教育委員長の案内で社殿の中へ入らせて頂き、本殿の彫り物や造形を間近で見させてもらった。

今まで散歩がてらに神社仏閣をふらりと訪ねることがあったのだが、その中でも群を抜いて立派な本殿のデザインだと思う。どの方向から見ても素晴らしい彫刻で、思わずため息が出たほど。

 

皆さんにも是非実物を見て欲しい。

無論、勝手に社殿の中に入るのはいけないので、訪ねる前に南相木村の役場などにお問い合わせすることを忘れずに。

 

ちなみに蛇足かもしれないが、この社殿の中に戦時中に使用されていた砲弾もあったりする。

 

 

次に訪れたのは、墓地。相木氏の墓である。

あ、地元以外の人間がその土地の墓地に立ち入るのはとても怪しく見えるので、ちゃんと管理者に連絡してから訪問してます。

この画像の中で一際大きな碑があると思うが、正面に『常源寺殿脱慶喜公庵主』と彫られ、側面には『相木能登守相木市兵衛常喜 永禄十夘歳正月八日』と刻まれている。

そう言えば、どの地域どの時代にあっても墓石を削る人間というのは存在するようで…(苦笑)

そういう理由でこの場所から移した相木氏の墓があると。

 

離れた場所に、木に隠れるように。しかし決して暗くはなく、陽のあたる場所。

これこそが相木氏の墓だと教育委員長が言っていた。相木市兵衛常喜の父である『依田因幡守常栄』の墓碑だと。

詳しい場所は明記しません。

 

手を合わせ、次の場所へ。

 

この記事の前の方に紹介していた山中鹿之助幸盛公生誕の地 資料館。

そこで依田武勝さんと会い、わたしが南相木村に来た経緯を話し、武勝さんからは依田相木氏と武勝さん自身のお話を聞かせてもらった。

依田武勝さんは依田氏の子孫として、武田旧温会の副会長として、調査研究した結果を何冊かの著書として出版している。

わたしはその著書の中の『相木市兵衛依田昌朝と武田信玄』を所持していたのですが、武勝さんのご厚意で他2冊を頂けることに。

武勝さんの著書2冊と名刺。

釣りキチ三平のトートバッグと蕎麦焼酎 天峰は教育委員長から頂いたもの。

 

サインまでしてもらいました。

 

武勝さんご自身は戦争に行っていた経験もあり、ベトナムに出兵していたとか。

日本が戦争に負け、ベトナムにいた中国国民党の兵士へ降伏する際に持っていた武器をすべて渡したら「身を守る武器を」と一つ返して寄越した。そこに武士の情けというか、国が違えど戦争を経験した人間同士の情みたいなものを感じたと言っていた。

こう言った体験談を本人の口から聞くことはとても貴重。聞けてよかった。

 

お礼を言い、別れる際に「あんたも相木の魂を持ってる」と言ってもらえたのも嬉しかったな。

武勝さんは去年100歳を迎えたそう。お会いしたしたときは95歳だったが、年齢を感じさせないちゃきちゃきした口調を覚えている。

 

 

最後に訪れたのは、峰雄山 常源寺。

このお寺は相木市兵衛が開基だと言う。

 

初めて訪れた年は桜が咲き誇っているタイミングでの訪問となり、それはもう美しかった。

花と緑、空のコントラスト。

そこにお寺の朱が映える。

 

 

お寺の敷地内にあるご住職の住居に伺い、お寺の中を案内していただきました。

奥に文殊菩薩像、阿弥陀如来像、愛染明王像が鎮座している。

そして手前右手に相木市兵衛像。

この像は文政2年に作られたもので、平成24~26年にかけて修復されたらしい。

なので資料でこの像を見るときは2014年以前のものだと、少々趣が違うように見えたりする。

ちなみにご住職は「(修復する)前のほうが味があって良かった」とおっしゃっていた(笑)

 

本堂を案内してもらったあとはこちらの建物へ。

 

そう、寺宝館。

 

 

扉を開けてもらって…いざ!

 

…う、うわぁ。資料館かな?

書籍に載っている相木市兵衛関係の写真と言えば、この軍配団扇ってぐらい見たことあるやつw

写真で見るのと実際に見るのとじゃ趣が違う。

 

そして一番目を惹かれたのはこれ。

相木氏の歴歴がまとめられている紙。

こういうのは見るだけでもテンション上がってしまう。補足みたいなのも書かれていて読み応えがあった。

 

そして最後にご住職が見せてくれたのはこれ。寄進状。

寄進状とは、社寺などに金品や領地を寄進するとき、その品目・趣旨などを記した文書。

これは相木市兵衛常喜が常源寺に土地を寄進した際に記したものとされているそう。南相木村唯一の中世文書とか。

 

相木氏絡み以外では「長刀よりこっちの方が大変な価値がある」と300冊以上の経典を見せていただきました。

廃仏毀釈のためとある商人に託された経典らしい。数百年前のものだとか。

 

 

寺宝館を案内してもらったあとは、ご住職のご自宅でお茶を頂きつつ色々お話しました。

ご住職は元々は音楽教師をしていたらしいのですが、お寺の後継ぎの為に戻ってきて修行し今に至ると。修行始めたときのお歳が60歳というから驚き。

丁度訪問した月の次の月に埼玉の浦和で演奏会があったらしく「東京の民間音楽団体の指揮するから、お暇だったらどうぞ」とお誘いも頂いた。結局仕事で行けず終いだったが…orz

 

煙草と音楽が好きなご住職で「お茶淹れるけど、お酒もあるよ?飲む?」なんて笑いながら話しかけてくれたりと、とってもお茶目な方でした。

2018年に胃がんで胃を半分以上切除したとお聞きしてましたが、2019年4月始めにお亡くなりになりました。

2019年訪問時にお線香をあげさせてもらい、ご住職の奥さんと「こんなこと言っててね」「これこれが面白くて」と生前のご住職のことを話し笑って別れてきました。ありがとう。

 

さて、色々見て回って時間もかなり過ぎ去った頃。お宿に行きます。

立岩湖交流センター立岩荘。

南相木村では毎年こちらにお世話になっています。

 

こんな感じのシンプルな客室。

部屋についてすぐお茶と和菓子。

 

お風呂は空いている時間を見計らって入るという感じ。

脱衣所の内鍵がかけられるようになっており、貸し切りになる。

 

鯉こく、ユキノシナマスの焼き物、馬刺し…豪勢な夕食。

しかも、ごはんと汁物はおかわり可能。

 

日本人な朝食。重すぎない、食べ切れる量でありがたい。

朝食を食べているお客さんのなかには、宿泊客ではなく釣り客も含まれているっぽい。

宿から出てすぐの立岩湖で釣りをしている様子が見れる。

 

立岩湖の近くにはシンボルの立岩。

…ちょっとゴジラ感あるw

 

天気と季節次第だが、こんなに綺麗な川の流れを間近で見て感じることが出来る贅沢。

自然のマイナスイオン発生器。

 

 

そんなこんなで南相木村を堪能して東京への帰路に着くんだ、毎回。

終盤駆け足になってしまったが、ようやく書き終わり。

今度は溜めないようにするぞー!…多分(苦笑)