2020年からの新型コロナウイルスの流行で数年行けていないが、2017~2019年の3年間、GWに北相木村と南相木村へ旅行していたのでその思い出を書き残しておこうと思う。
北相木村と南相木村へ行こうと思ったのは、随分と前だった。
相木のルーツを知りたい→武田の武将に相木氏がいるらしい→長野に北相木村と南相木村というのがあるらしい→行ってみたい…と動機は至極単純なものであったがw
しかし思った当初は仕事の関係で忙しく、金銭的にも時間的にも余裕が無かったため、いつか行きたいと計画するばかり。結局その仕事をしている間は行くことが出来なかった。
転職後、仕事と折り合いがついてきたあたりでようやく纏まった休みが取れるように。
GWの連休で早速行こう!となった。
東京駅から新幹線を使い佐久平駅まで。上野駅からのときもあった。
佐久平駅。さすが信州、有名な地酒の種類が多い。
佐久平からは小海線を使い小海駅へ。
小海町は「君の名は。」で有名な新海誠監督の出身地だそうで、小海駅に横断幕がひっそりかかっていた。
ほっこり。
この小海駅前から北相木村と南相木村へのバスが出ているのだが、大体バスが到着するまで時間があるので、ここで昼食タイム。
長野のご当地名物ソースカツ丼を食べたり(1年目)
良い、ポスターだ。
長野なのに寿司を食べたり(2年目)
良い、ポスターだ。
ちなみにこの寿司を食べた年(2018年)の7月場所で初優勝した御嶽海。
自宅のTVでそのニュースを見て、ああ!あのときのポスターの!となってた。
3年目はちょっと慣れて駅前から移動し、オムライスを食べたり。
良い、店内だ。
それと、この店内でこんなポスターを見つけて心踊ってしまった。
湖底浪漫。日本酒を湖に沈めて熟成させる。まさにロマン酒。
食事を終えて駅へと戻る。
途中先程のポスターに書かれていた酒販店があったので立ち寄った。
湖底浪漫について聞いてみたところ、飲食店用で個人販売はしていないとのこと。残念。
店員さんに許可を得て店内を撮影。
酒好きには堪らないお店(当たり前)
日本酒が最も多いが洋酒も揃えており、ずっと眺めていられる。
このお店は宅急便の扱いもあるので、何本か購入し自宅へ送ってもらった。お宿で飲む用の小さい酒瓶も購入しバッグの中へ。
駅前に戻ってまだ時間があったときは、駅隣りの食品販売店をのぞいたりした。
…長野で大洗(茨城)
あとはバスの待合中、北相木村にお住まいのおばあちゃんと仲良くお話したり。
「あなた何処から来たの?先生?」
「昔このあたりで飛行機事故があってね、それはもうすごかったのよ」
「そうそう坂本九ちゃんの飛行機事故!」
日本航空123便墜落事故のお話なんかは当時の緊迫した状況が知れたりと、また一つ頭の引き出しが増えた。
そうこう時間を潰しているうちに北相木村へのバスが到着し、乗り込む。
10分くらいで北相木村に到着。
北相木村でのお宿は毎年ここだ。
『相木荘』
このお宿に初めて宿泊予約の電話をかけたときの話なのだが「すみません、相木と申しますが…」と名乗ると「あら!まぁ!!」と少しはずんだ声で応対されたのを覚えている。
2年目からは名乗っていなくとも声だけで「あら、相木さんね!」と判別されてしまったり(笑)
話が脱線しそうだ。
いざ、相木荘の中へ!
じいちゃん、ばあちゃんの家みたい。落ち着く。
食事やお風呂は1階で宿泊部屋は2階になっている。
セキュリティとかそんなの気にする方が野暮なこの環境、良い。逆に安心する。
部屋で一息ついていると、お茶とお菓子とお漬物が。
これが長野のお茶っこ文化!!
聞いたことがある。長野県のお茶請けにはお漬物が出てくると。
このカルチャーショックがいい!自分の知らない文化に触れてるなって感じがする。
このあと楽しく美味しく頂いた。
ビールを頼んだ際にもお漬物が付いてきて、ふふっとしたw
お茶を頂いたあと、食器を下げに1階へ。そこでお宿のご主人とお話。
実はこのお宿のご主人は、北相木城主である依田与七郎長繁の家老 木次家の人。
上の画像の掛け軸も木次家が所有している。
木次さんご夫妻はとても良い人たちで、色々と教えてもらった。
「前にも相木の名字の人がここに泊まりに来たのよ」とか。
「秩父事件の調査をするのに泊まってた人たちがいるんだ」とか。
「木次家も相木家に関わってて…資料見るかい?コピー持ってくるから」とか。
他にも集落の話とか、相撲の話とか、林業、農作物…色んな話をした。オムニバスに。
それから資料のコピーや書籍をお貸しいただき、部屋で黙々と読む。
お借りした書籍を返したあとは、コピー読みつつ小海で購入したお酒飲んだり。
そんなこんなであっという間に夕食の時間。
夕食には必ず鯉こくが出てくる。
宿泊時期がGWなのもあるのか、揚げ物には山菜が含まれる。お刺し身まである。
なんて豪勢な食事なんだ!残さず食べた。
翌日の朝食も理想的。大満足。
朝食を食べ終え、ゆるりとしていたところ「相木荘には離れもあるから見てみるかい?」とご主人に聞かれ「是非に!」と。
離れは2階建て、囲炉裏付き。
「秩父事件の調査をしていた人たちはここにいつも泊まってたんだ」とのこと。
1人で泊るには広すぎるが、何人かで泊まるならここの離れいいな…と思った。
2年目に相木荘へ伺った際には、庭先に新しい蔵が建ったことを教えてもらった。
蔵には木次家の家紋である対い蝶と、もう一つの紋が…裏紋だそうだ。このような形では初めて見た。
「こんな風に家紋付いているの初めて見ました」と言ったところ、ご主人が「大龍寺の屋根のところにも木次の紋があるから見てきてごらん。ちょっとご住職に連絡してみるから待ってなさい」と、ご主人から大龍寺のご住職に連絡していただき、無事了承が取れたので大龍寺に向かうことに。
大龍寺は坂の上にある。
函館の元町くらいの傾斜がある坂だ。
ご住職が入り口を開けて待っていてくれた。早速案内されお寺の中に。
お寺の中には色んな物があった。
北斎の武者絵。
白馬奉納絵。
これは名馬「月影」を奉納した際の絵だそう。
(解説文をアップで撮影し忘れたため、詳しい内容が不明)
小林一茶たちの句が飾られている句額。
他にも井上井月の句などもあるようで、その縁からか大龍寺のご住職は映画「ほかいびと 伊那の井月」に出演されてるとか。
主演はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で奥州の覇者・藤原秀衡を演じた田中泯さん。
お寺の中の引き戸も様々な絵が描かれている。ご住職曰く狩野派らしい。
実は相木氏が使用したとされる2尺7寸の太刀も大龍寺に保管されていたため、こちらも見せてもらった。こちらは撮影を遠慮してくださいとのことだったので、感想のみ。
「直刃で若干曇りめ。欠けなど見受けられないが現在に至るまで研がれた影響か長さに比べ幅が細い印象」でした。
茎が見えていたわけではないため刀工や製造時代は不明。
そうやってお寺の中をぐるりと1周し、ご住職から都度解説を受けた。ありがたや。
それからご住職にお礼を言って別れ、大龍寺を後にしようとしたとき思い出した。
あった、あった。対い蝶。
相木荘のご主人に言われたの見忘れるところだった…危ない。
無事(?)大龍寺の屋根を確認し、相木荘に帰ってチェックアウト。
木次夫妻にお礼を言い、荷物を担いで南相木村へ移動を開始する。
相木荘の近所にある諏訪神社。旅の無事と村へのお礼で毎回お参り。
神社境内には千曲郷開拓団戦争殉難者慰霊碑と秩父事件100周年を記念した自由民権の雄叫びの石碑がある。
これ以外にも1年目のときは、北相木村考古博物館にも行った。
2年目のときは、北相木郵便局前にある相木城址の碑も見に行った。
…石碑オンリーで「え、これだけ?」となった記憶がある(苦笑)
そのときの気分によりけりだが、色んなところに寄り、北相木村の道草を撮りながら南相木村まで歩く。
次回、南相木編。