タイトルにもあるように太田城は和歌山が一つに統一される前の最後の砦でしたが、桃山時代に秀吉の紀州攻めにより落とされて紀州が統一されます
ここは備中高松城(岡山県、天空の城とテレビで紹介されていた)・忍城(埼玉県、のぼうの城の舞台)と並んで秀吉の3大水攻めの一つといわれてましたが、現地にはほぼ何も残っていません┐( ̄ヘ ̄)┌
和歌山駅に降り立ち東口を出ると太田城城主太田左近がお出迎え(昔の人は右・左とか衛門が名前につく人多い気がする)

最後まで秀吉に対抗しましたが、最後は首を差し出すことで終焉を迎えます
城主の像を後にして10~15分くらい歩くと太田城の跡地だと伝わる来迎寺が見えてきます

隣の墓を見てみると太田姓が何軒かあり、どの人が末裔なんだろうかと考えてしまいます(実際は誰も該当しない可能性もありますが...)
この辺の地名が太田になっているところをみると地域の有力者が太田姓を名乗っていたのでしょう
来迎寺を出てすぐのところに太田城で城主の他にも首を差し出した人がいて、その人たちの供養のために建てられた小山塚が残っています

塚は他にもあったらしいですがここしか残っておらず、この塚も元々あった場所から移転したそうで元々どこにあったのか、他の塚はどこにあったのかが気になるところです(誰かご存知の方いましたら教えてくださいm(_ _ )m)
小山塚の次は水攻めの際の堤が残っているとかでさらに10分ほど北東に歩き、きのくに信用金庫の駐車場のすぐ横に堤跡がありました(写真参照)

正直な感想としては堤?これ堤?てなとこです(土は整えられてるけど...)
知らなければ気づかず通り過ぎてしまいます(-_-;)
最後にもう1か所
和歌山駅の西側に出て20分くらい(うろ覚え)のところにある大立寺には太田城の大門が残されています
ここだけちょっと離れてますね

観光地にはならないでしょうが、歴史好きなら一度は訪れてみてもいいかもしれません
*学生のころ教科書で学んだ刀狩は太田城が落城後、ここ和歌山から始められました