みなさん、こんにちは。
行政書士の二藤部です。
寒くなってきましたね。
あまり暖かいコートがなく、新しいコートを買おうか、悩み中です。
ダウンコートがいいですね。
さて、前回は戦後の日本経済をお話ししました。
朝鮮戦争による米軍の兵器補充・修理などの特需で生産
は拡大し(朝鮮特需)、この不況を乗り切ることができたという話しで終わって
おりましたので、その続きからお話ししましょう。
朝鮮特需により、インフレも収束し産業基盤も整ったことで、
成長する基盤がこの時期にできました。
日本の高度成長がここから始まります。
日本の高度成長期は一般的には、1955年から1973年までのことをいいます。
この時期は、日本が年率10%前後の経済成長を実現しています。
15年の間、この水準をキープしていくことは他国にはみられないものです
から、すごいですよね。
では、解説していきましょう。
《1955年~1961年》 この時期は、輸入中心の民間設備投資に支えられたものです。
企業は最新の設備を輸入して設備投資をしていきました。
【神武景気】
・31ヶ月続いた戦後日本の景気拡大のことです。
・1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と述べています。
【岩戸景気】
・42ヶ月続いた好景気です。
・1960年には、池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を発表しました。
国民所得倍増計画では、池田首相は、国会で10年で月給が2倍以上
になると説いていた。そして、計画では7.2%の経済成長を想定して
いましたが、実際は10.9%の高度成長となっていました。
《1962年~64年》
【オリンピック景気】
・東京オリンピックに合わせて高度道路や新幹線などの公共事業の急増
がありました。
・しかし、オリンピック後、公共事業が激減して不況が発生します。
《1965年~1970年》
【いざなぎ景気】
・神武景気や岩戸景気で築いた設備投資をもとに、輸出中心の好景気が
実現します。
・日本の重厚長大産業である(鉄鋼・造船・石油)重化学工業が好調と
なりました。
・1ドル360円の固定為替レートで、円安となり輸出に有利になりました。
《1970年~》
【円高の進行と石油危機】
・円高の進行と石油危機により、高度成長は終わりを告げます。
・固定相場制が崩れたことで、円高が進行します。円高になり、日本の
商品は売れなくなりました。
・1973年第1次石油危機が発生しました。第4次中東戦争で石油価格が
4倍になり、重化学工業と石油関連事業が打撃を受けました。
・不況とインフレが同時進行するスタグフレーションが発生し、戦後初の
マイナス成長となります。
《1970年台半ば》
【石油危機後の取り組み】
・インフレ対策として、総需要を抑制するため、公定歩合を9%に上昇
しました。
・今後の石油不足にも対応できるように、産業構造の転換がなされました。
重化学工業の「重厚長大産業」から、知識集約型の家電・自動車・コン
ピュータ「軽薄短小産業」へ移行
以上のように、経済はその流れを理解することで、よくわかるようになります。
時代の背景等も交えながら、記憶しておきましょう。