創価学会から日蓮正宗へ改宗した信徒のブログ

創価学会から日蓮正宗へ改宗した信徒のブログ

創価学会員の皆様、
創価学会の誤った信仰を捨て、日蓮正宗の正しい信仰に戻るべきです!

ここは創価を脱会し、日蓮正宗に改宗した男の日々を綴っています。

私は現在20歳。男です。



19歳のときに、親しかった友人の折伏で創価学会へ入会しました。


毎日必死にお題目をあげ、男子部の活動にも積極的に参加しておりました。


そんなあるとき、両親が離婚危機、職場の人間関係悪化、やるきが起きない、


様々なマイナスな出来事ばかりが立て続けに起こりました。


こんなに祈っているのになぜ?という疑問。


最初は魔の仕業だと言い聞かせ必死にお題目をあげましたが、


あげればあげるほど状況は悪くなる一方。


祈らないほうがマシ!そんな風に思っていたあるとき。


インターネットで「創価の本尊はニセ物」ということを知りました。


そして私はニセ本尊を学会本部へ返却し、


日蓮正宗の総本山、富士大石寺にて御受戒を受け、晴れて日蓮正宗の信徒となることができました。



日蓮正宗の正しい信仰とは何か?創価の何がいけないのか?


当ブログにて日々、感じたこと思ったことを書いていきます。


Amebaでブログを始めよう!


前回記事の続きです。



日蓮大聖人がお説きになられた、


「利根(りこん)と通力とにはよるべからず。」


これは、


「人間の真の幸福は仏の境界に至ることであり、利根・通力といった超能力によってはいけない」


と戒めているのです。


日蓮大聖人の教えを正当に受け継いでいる我々日蓮正宗の信仰は、


宇宙法界を悟った仏の教えにしたがい、正しい本尊を信仰することによってのみ得られるものなのです。



すなわち本仏の慈悲によって仏天の加護を受け、


正しい信心と修行によって人間としての福徳を備え、


清浄にして自在な仏の境界を現実生活の中で生かしていくことが仏教の目的であり、


真実の大利益なのです。





たとえば、今、目の前に2つの別れ道があったとします。


どちらに進もうか。



1つは、真実の幸福に到達する正しい道


もう1つは、不幸に至る邪な道





正しい道は頂上まで行けば素晴らく美しい景色を望むことができます。


険しい坂道や困難な壁にぶつかることもありましょう。



反対に邪な道は下降する道ですから、人が通るには楽な楽な道であり、快適な下り坂で、途中には美しい花が咲いているかもしれません。





しかしゆるやかな道で途中に美しい花が咲いていたとしても


最後には不幸な破滅の人生に至ってしまう道を選ぶべきではありません。





邪な宗教によって一分の利益がもたらされるのは、


あたかも詐欺師がはじめに正直者を装い、


おいしい餌で相手に釣るようなものであり、


正しい宗教に帰依することを妨げようとする魔の働きなのです。






一時的、表面的な結果のみにとらわれることなく、


正しい教理・経文、現実の証拠がそなわっている正しい宗教によって、


正しい人生を歩むことこそ人間としてもっとも大切なことなのです。









参考

日蓮正宗公式サイト


こんばんは(^o^)/


日蓮正宗法華講員 神奈川県出身 21歳


創価学会を入会後わずか二ヶ月で脱会し、日蓮正宗に帰依しました!




毎日のようにアクセスがあり、たいへん有難いことです。


きっと何かの迷いを抱えている方がこのブログを見てくれているのではと、


僕も更新を頑張らねばと励まされます(T▽T)


まだまだ人間としても仏教徒としても法華講員としても未熟者ではありますが、


このブログを通して日々成長させていただいております。


ありがとうございます!



さて!!!!!



本日のテーマ!



「どの宗教にも利益や功徳があるではないか?」


という論点から日蓮大聖人の御指南を拝してまいりたいと思います!!




まず、信仰を持つ者にとって、何かしらの利益と思われることが存在するからこそ


人は皆、信仰するのだと思います。



しかし、人間の生命には三千種類の生命状態が可能性として潜在しており、


(これを一念三千と言います!)



それが縁にふれて様々な作用をもたらし、


自分の心の持ち方や周囲の環境が変わることにより、


今までとは違った心境や状態になることもありうるのです。




ストレス社会の中で忙しい日々に追われていた人が、


精神を落ち着かせ、何かを拝み祈ることで、


今までとは違った心境になるでしょうし、


時には精神の変化が肉体に影響して病気が好転することも不思議なことではありません。



また、スピリチュアルカウンセラーや占い師などのように


利根(教えを受けて修行する者の性質)や


通力(何事も自由自在にできる超人的な能力)などの


一種の超能力をもって、他人の願いごとを祈ったり、


将来を占い、それが時にはかなったりすることもあるでしょう。


これらも人間生命の潜在的可能性の一分が現われたものであり、


あっても不思議ではありません。



しかし、大聖人は


  「利根(りこん)と通力とにはよるべからず。」(唱法華題目抄・新編二三三)


とお説きになっておられるのです。



次回!

この説明について、また更新したいと思います!!




見つけました!


創価大学に通い、学会にいながら、

自分の属しているはずの組織なのに、疑問を感じている方のある日のブログ記事!!



ブログの更新はここ最近行われていないようですが、


やはり学会の中には疑問を感じている人が少なくないようです!!!


ここに文章をコピペしてしまうと無断転載となってしまうので、

内容を一部改編して載せます!



ある日の記事から・・・


学会メンバーや組織の変化

自分のまわりのメンバーに学会のあり方に疑問を感じたり、

活動から一歩引くようなメンバーが出てきた。

理由は人それぞれだが、とにかく活動で疲れ切っている様子、

かなりのストレスを溜めて弱わり果てる様子のメンバーもいる。

冷静に今の学会の現状を見つめなおして、

これは活動に参加・協力すべきではないと決断している人も出始めた。



実際の記事はコチラ・・・

http://ameblo.jp/soka/entry-10020605176.html



これがニセ本尊による害毒、

現証ではないでしょうか・・・??







以下がその寄せられたコメントです!




大聖人は難の連続の生涯でしたね


あなたの信心は苦難にあわないようにするための信仰ですか?


学会に入会したからといって苦難にあわない、など道理ではありませんよ。

むしろ活動を頑張るほど苦難に遭います。経文通りです。


その苦難を乗り越えるための信仰です。


あなたは信心で苦難を乗り越えようとせず、学会に、学会の御本尊に難癖をつけて逃げ出しただけです。


そのような心構えでは、正宗に行ったからといっても、必ず不信を起こすことでしょう。



今日はこれについての返答を書きます。


皆さんはどう思われますか?



>大聖人は難の連続の生涯でしたね
 あなたの信心は苦難にあわないようにするための信仰ですか?


日蓮正宗に帰依したからといって苦難に合わないとは申し上げておりません。
むしろ正宗に帰依でき本当の正しい仏法を実践していく中で、これから先もちろん苦難にも合うことでしょう。


>学会に入会したからといって苦難にあわない、など道理ではありませんよ。
 むしろ活動を頑張るほど苦難に遭います。経文通りです。


経文どおりとおっしゃるならば、あなたは学会のニセ本尊を認めたことになりますね。


「一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。
但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。」


「開眼供養せざれば家に主なきに盗人が入り、人の死するに其(そ)の身に鬼神入るが如し」と大聖人は仰せです。


この大聖人仰せの文証の道理がわからないですか?
すでにこの道理がわからない時点であなたは、今の学会員に多い、典型的な現証そのものが顕れていますね。


活動を頑張るほど苦難に合うとおっしゃいますが、
ニセ本尊を広める活動を積極的にやっているのですから、それは大変な現証が出ますよ!


>その苦難を乗り越えるための信仰です。
 はい。だから正宗に戻りました。
 あなたのいう「その苦難」とはなんですか?よく考えてください。

 

本当に自分の人生、境涯を変えて行くためにこそ本当に正しい仏法を実践する必要があるのです。


>あなたは信心で苦難を乗り越えようとせず、学会に、学会の御本尊に難癖をつけて逃げ出しただけです。
 では、学会の信心が本当に正しいならば、そのことを実証してください。