田村随想
ー清水寺の霊験を軸に、征夷大将軍坂上田村麿の武勇伝を語る能「田村」
勝修羅の能の随一と言われ、勇ましい勝ち戦の趣を、華やかに描く修羅物ー
田村のストーリー解説は、よくこんな感じで書かれています。
そもそも「能」は、敗者や弱者の、哀れや嘆きを戯曲化して昇華するのが得意な演劇です。
そこで勝ち戦となると極端に数が少なくなり、勝修羅と呼ばれる能は田村を含め三番しかありません。
その勝修羅三番の中でも「田村」には、子供の頃から不思議な違和感がありました。
解釈の答えが出しにくいというか、何というか…。
物語的には上記のままで、素直なストーリーなんですが…。
とにかくいつもスッキリしない何かがありました…。
さて、武士を主人公にした「修羅物」を語るには、六道のひとつ、「修羅道」をお話しなければなりません。
人は死ぬと6つの道に生まれかわり、修行を積みながら輪廻するそうです。
上から、天道、人道、修羅道。
続いて、畜生道、餓鬼道、地獄道。
下のBクラスの3つは三悪道と呼ばれ、ここには落ちてはならぬと様々な戒めがあります(ちなみに我が楽天イーグルスは、ただいま地獄道…)。
ギリギリ、Aクラスに留まった修羅道ですが、それほど良い世界とは言えず、阿修羅が統括する、戦いを絶えず続けなければならない世界です。
その修羅道には、武士や軍人、人を騙したりした人などが墜ちるそうです。
面白いところでは、酒を水で薄めて売ると修羅道に墜ちるとあります。
とすると、銀座や六本木、北新地や国分町のママさん達も……。
修羅道、意外と華やかかも(笑)!
さてさて、修羅の苦しみとは、あの世で生前と同じ戦を延々と繰り返すこと。
源氏の義経も景季も(←勝修羅)、朝長も兼平も、平家の清経も通盛も、敦盛も経正も(←負修羅)、みんな修羅の苦しみを嘆きます。
そして、田村麿も……
あれ??
田村には修羅の苦しみの話出てこない!!
もしかして田村麿、修羅道に墜ちてないかも!?
田村に対しての何ともいえない違和感は、修羅の苦しみが無いのに、修羅物と呼んでた事に拠るんだ!
田村麿は武士ですが、修羅の苦しみと無縁と描かれている田村は、正確には修羅物ではない!
では、田村はどのジャンルに入るのか……。
謡本をよく読み解くと、観音様に対する信仰の篤さと、それによる救済の奇跡が軸になっています。
古い能では、役者が偉大な神様や仏様を直接演じるのは怖れ多いと、末社(末端の神様)や、お使いの者などを通じて縁起を語る手法を取っています。
老松(天神様縁起)や春日龍神(春日明神縁起)、石橋(文殊菩薩縁起)など、たくさんの能がこの形態です。
即ち田村は、千手観音の縁起を語るために、敢えて田村麿を主人公としたと言う訳です。
このパターンから言うと、田村はキリ能(ファンタジー、スペクタクル)か、ワキ能(神や仏の物語)に当てはまります。
そうなると、悩んでいた演じ方も見えて来そうです。
キーワードの「仏様」と「武将」をミックスすると……
イメージは「十二神将」、「四天王」!
毘沙門天や帝釈天!
確かに田村の替えの演出には、そのイメージの扮装もあります!
仏教の守り神としての「田村麿」!
スッキリした上に、凄く演じたい能になってしまいました!!
おわり
ー清水寺の霊験を軸に、征夷大将軍坂上田村麿の武勇伝を語る能「田村」
勝修羅の能の随一と言われ、勇ましい勝ち戦の趣を、華やかに描く修羅物ー
田村のストーリー解説は、よくこんな感じで書かれています。
そもそも「能」は、敗者や弱者の、哀れや嘆きを戯曲化して昇華するのが得意な演劇です。
そこで勝ち戦となると極端に数が少なくなり、勝修羅と呼ばれる能は田村を含め三番しかありません。
その勝修羅三番の中でも「田村」には、子供の頃から不思議な違和感がありました。
解釈の答えが出しにくいというか、何というか…。
物語的には上記のままで、素直なストーリーなんですが…。
とにかくいつもスッキリしない何かがありました…。
さて、武士を主人公にした「修羅物」を語るには、六道のひとつ、「修羅道」をお話しなければなりません。
人は死ぬと6つの道に生まれかわり、修行を積みながら輪廻するそうです。
上から、天道、人道、修羅道。
続いて、畜生道、餓鬼道、地獄道。
下のBクラスの3つは三悪道と呼ばれ、ここには落ちてはならぬと様々な戒めがあります(ちなみに我が楽天イーグルスは、ただいま地獄道…)。
ギリギリ、Aクラスに留まった修羅道ですが、それほど良い世界とは言えず、阿修羅が統括する、戦いを絶えず続けなければならない世界です。
その修羅道には、武士や軍人、人を騙したりした人などが墜ちるそうです。
面白いところでは、酒を水で薄めて売ると修羅道に墜ちるとあります。
とすると、銀座や六本木、北新地や国分町のママさん達も……。
修羅道、意外と華やかかも(笑)!
さてさて、修羅の苦しみとは、あの世で生前と同じ戦を延々と繰り返すこと。
源氏の義経も景季も(←勝修羅)、朝長も兼平も、平家の清経も通盛も、敦盛も経正も(←負修羅)、みんな修羅の苦しみを嘆きます。
そして、田村麿も……
あれ??
田村には修羅の苦しみの話出てこない!!
もしかして田村麿、修羅道に墜ちてないかも!?
田村に対しての何ともいえない違和感は、修羅の苦しみが無いのに、修羅物と呼んでた事に拠るんだ!
田村麿は武士ですが、修羅の苦しみと無縁と描かれている田村は、正確には修羅物ではない!
では、田村はどのジャンルに入るのか……。
謡本をよく読み解くと、観音様に対する信仰の篤さと、それによる救済の奇跡が軸になっています。
古い能では、役者が偉大な神様や仏様を直接演じるのは怖れ多いと、末社(末端の神様)や、お使いの者などを通じて縁起を語る手法を取っています。
老松(天神様縁起)や春日龍神(春日明神縁起)、石橋(文殊菩薩縁起)など、たくさんの能がこの形態です。
即ち田村は、千手観音の縁起を語るために、敢えて田村麿を主人公としたと言う訳です。
このパターンから言うと、田村はキリ能(ファンタジー、スペクタクル)か、ワキ能(神や仏の物語)に当てはまります。
そうなると、悩んでいた演じ方も見えて来そうです。
キーワードの「仏様」と「武将」をミックスすると……
イメージは「十二神将」、「四天王」!
毘沙門天や帝釈天!
確かに田村の替えの演出には、そのイメージの扮装もあります!
仏教の守り神としての「田村麿」!
スッキリした上に、凄く演じたい能になってしまいました!!
おわり
