娘が幼稚園から帰ってきて

いつものようにおやつを食べて



いつものように

ご機嫌で一人遊びを始めた娘。




いつものように

机の上はぐちゃぐちゃ。



夕飯前に

ぐちゃぐちゃになった机に置かれた

おやつの時に出したお茶と受け皿を洗おうと

お皿を取った瞬間、



ぐちゃぐちゃの机の上に

まだ入っていたお茶がこぼれた。



広がったお茶を見ながら

すぐに

怒りが込み上げてくるのを感じた。




頭の中では


「ぐちゃぐちゃのせいで」

「片付けないからや」




頭の声は本当の声ではない。





怒りの矛先は

当然、

娘が片付けなかったことでも



私がお茶をこぼしてしまったことでも

その溢れたお茶を掃除することでも



そんなことではない。




そして、何より

こぼしたのは娘ではない。




私が、こぼした。




じゃあ、何に怒りがあらわになったのか?




こぼしたことは

ただのきっかでしかなくて、





今日までスルーして

置いてけぼりにしてしまっていた

私の声なき声たちが





こぼしたということをきっかけに、

私に気づかせるために反応した。





それは、

私の肚の中で

消化しきれていない感情のしこりだった。




一番にわかってほしくて、

一番に聴いて欲しいのは




私。






インナーボイス(内なる声)に

アクセスして聴くと、





『泣きたいほど、気が休まらない』

『自分のことを魂レベルで恨んでいる』

(以前出てきた過去世からのメッセージで内容は把握済み)

『歓びたい』




痛いほど心当たりがある。





これらを

満足する方へと

自分を動かし満たしていないことが

大きな要因。






すべての原因も答えも

自分の中にのみある。






そして、

拾い上げていなかった声たちに

すかさず寄り添う。





「泣きたいほど、休まっていなかったんやな」

「大丈夫。必ず想いは繋げるから」

「歓び、悦びの世界を味わおう」






内なる声を拾い上げたら、

必ず

肯定してただただ寄り添う。





いつも不思議だけど、

そうするだけでも





自分の内側が

どんどん落ち着いてくる。





あとは

リアルな行動をしていくだけ。






娘には本当に申し訳ない。



せっかく描いた絵が

びしょ濡れになってしまった。





落ち着いてから娘に

ごめんなさいをした。






さぁ、わたし。


感じていることは受け入れても、

恐れにのまれるな。






知ってるでしょ?



恐怖の先には、

自分が思っている『恐怖』なんてないこと。







大丈夫。



大丈夫。






無理はせず、

楽しみにかえていこう。




終わったらすべてがネタになる。





そうそう。


望んだ世界、

心地よい世界が自分の真実で、



恐れや不安、

心地よくない世界は真実ではないと

どこかで聞いた。






ならば


地に足をつけて

どんな自分でも、




信じていこう。





ねぇ、私。




軌道修正して、

どっちに進んでいきたい?




答えは

わかってるよね?





真実