https://youtu.be/BGTYfdoHHFw?si=718ZL74B2i9tt953
1945年9月2日
東京湾に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で、日本が戦争降伏を認めるポツダム宣言の調印式。式典に先立ち、ダグラス・マッカーサー元帥が意義を込めて演説。
「…この厳粛なる機会に、過去の出血と殺戮の中から、信仰と理解に基礎づけられた世界、人間の威厳とその抱懐する希望のために捧げられたより良き世界が、自由と寛容と正義のために捧げられたより良き世界が、自由と寛容と正義のために生まれ出でんことは私の熱望するところであり、また全人類の願いである…」
重光葵外相が降伏文書に署名。会場には、幕末時代に開国を迫ったペリー提督が乗船した黒船に掲げられていた実物の星条旗が広げられていた。
1945年9月2日
ポツダム宣言の調印式終了後、マッカーサー元帥が米国民向けのラジオ放送を行う。
「わが同胞諸君、今日、大砲は沈黙している。一大悲劇は終わった。大勝利がかち得られた。空はもはや死を降らさない。海洋はただ通商のみに使用され、人々は、太陽の下をいずこにおいても闊歩できる。全世界は全く穏やかな平和に包まれた。神聖なる使命は完成された…」
式典に列席した日本代表団の加瀬俊一随員の報告書をもとに、その日のうちに昭和天皇にも報され「元帥の高潔なステーツマンシップ、深い人間愛、そして遠大な視野」に感動したと伝えられる。
1945年9月2日
永積虎彦侍従が昭和天皇の命を受けて広島市入り。
翌3日、市内を視察し慰問。
1945年9月2日
中国新聞が9月3日付からの自社印刷を開始。
それは、
1945年8月6日から27日後、
1945年8月9日から24日後のこと。