A級戦犯

A級戦犯はロンドン協定により開設された極東国際軍事裁判所条例の定義により決定された。

人並ニ犯罪ニ関スル管轄
本裁判所ハ、平和ニ対スル罪ヲ包含セル犯罪ニ付個人トシテ又ハ団体員トシテ訴追セラレタル極東戦争犯罪人ヲ審理シ処罰スルノ権限ヲ有ス。

(イ)平和ニ対スル罪
即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。
(ロ)通例ノ戦争犯罪
即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反。
(ハ)人道ニ対スル罪
即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。
上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、其ノ何人ニ依リテ為サレタルトヲ問ハズ、責任ヲ有ス。
— 極東国際軍事裁判所条例第5条(イ)

これに基づいて極東国際軍事裁判によって有罪判決を受け、戦争犯罪人とされた人々を指すことが一般的である。

A級戦犯(Aきゅうせんぱん、英語: Class-A war criminal)は、 第二次世界大戦後の連合国による、ニュルンベルク裁判と極東国際軍事裁判の被告に対する呼称。戦犯は戦争犯罪人の略。

ドイツの降伏後の1945年8月8日にイギリス、フランス、アメリカ合衆国、ソビエト連邦の4ヵ国が調印した国際軍事裁判所憲章では、通例の戦争犯罪に加えて、平和に対する罪と人道に対する罪が新たに規定された。国際軍事裁判所憲章では、a.平和に対する罪、b.(通例の)戦争犯罪、c.人道に対する罪の3つが英語原文でabc順になっているため、項目aの平和に対する罪で訴追された者を「A級戦犯」、項目b、項目cで訴追されたものをそれぞれB級戦犯、C級戦犯と呼ぶ。日本はそのほとんどがB級戦犯であった。

なお、上記のようにA,B,Cは戦争犯罪の分類であるが、A級戦犯で起訴された28名のうち7名が死刑となったことも相まって、罪の軽重を表すとの誤解が広まっている問題がある。

1952年(昭和27年)4月28日に連合国諸国と日本との間に締結されたサンフランシスコ平和条約によって日本が主権を回復し、発効直後の5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々のために数度にわたる国会決議もなされた。

#A級戦犯

第二次世界大戦後、連合国が日本とドイツの戦争指導者の責任を訴追し、処罰するために行った極東国際軍事裁判(東京裁判)と国際軍事裁判(ニュルンベルク裁判)で使用された、被告に対する呼称。A級戦犯は「平和に対する罪」で訴追された者であるが、「通例の戦争犯罪」で訴追されたB級戦犯、「人道に対する罪」で訴追されたC級戦犯の訴追内容も含む、国家の指導的立場にあった重大戦争犯罪人とされた。極東国際軍事裁判においては、28名が起訴され、裁判の途中で死亡した松岡洋右(ようすけ)、永野修身(おさみ)、および精神障害のため起訴を取り消された大川周明(しゅうめい)を除き、被告人全員が有罪とされ、板垣征四郎(いたがきせいしろう)、木村兵太郎(へいたろう)、土肥原賢二(どいはらけんじ)、東条英機(とうじょうひでき)、広田弘毅(こうき)、松井石根(いわね)、武藤章(あきら)の7名が絞首刑、荒木貞夫(あらきさだお)、梅津美治郎(うめづよしじろう)、大島浩(ひろし)、岡敬純(たかずみ)、賀屋興宣(かやおきのり)、木戸幸一、小磯国昭(こいそくにあき)、佐藤賢了(けんりょう)、嶋田繁太郎(しげたろう)、白鳥敏夫(しらとりとしお)、鈴木貞一(ていいち)、橋本欣五郎(きんごろう)、畑俊六(はたしゅんろく)、平沼騏一郎(きいちろう)、星野直樹(なおき)、南次郎(みなみじろう)の16名が終身禁錮刑、重光葵(しげみつまもる)、東郷茂徳(とうごうしげのり)の2名が有期禁錮刑に処せられた。

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