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マイケル・ジャクソン(Michael Jackson、1958年8月29日 - 2009年6月25日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、ダンサー。本名はマイケル・ジョセフ・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)。インディアナ州ゲーリー出身。「キング・オブ・ポップ」と称されている。


1958年8月29日、アメリカ合衆国・インディアナ州ゲーリーの貧しいアフリカ系家庭に生まれ、幼い頃から兄弟たちとともに音楽の才能を発揮。1970年代に兄弟グループ「ジャクソン5」の天才リードシンガーとして、一世を風靡した。

ソロ活動を中心に据えた1980年代、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えた三部作『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』『バッド』で、前人未到の成功を手にし、名実ともにポピュラー音楽界の頂点に立つ。

1990年代以降も、『デンジャラス』『ヒストリー』といった大ヒット作を生み出し続けたが、一方で私生活や容姿に関するゴシップや数々のスキャンダルがメディアに取り沙汰されるようになり、心労による鎮痛剤や睡眠薬への依存に悩んだ。

2009年、大々的なカムバックとなるはずだったツアー「THIS IS IT」の開催を発表するも、公演開始1ヶ月前の6月25日、急性プロポフォール中毒により死去した。




2009年6月25日、マイケルが自宅にて心停止・呼吸停止状態に陥り、マイケルのボディーガードが救急隊に通報。12時26分に救急隊が到着。13時14分にカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) 付属病院へ救急搬送される。約42分間に及ぶ蘇生活動を行うも、カリフォルニア時間14時26分に死亡が確認された。



マイケルの死は、各国のメディアでトップニュースとして報道された。CNNやBBCなどが報道特別番組を組み、病院前から24時間体制で生放送を続けた。インターネット上で最初に報道したのはアメリカのセレブリティ専門サイトのTMZで、死後18分という異例の速さだった。その後、ロサンゼルス・タイムズがその7分後に続いた。2つのサイトはアクセス数の急増によってダウン。大手検索エンジンGoogleでは検索数が一時猛烈に跳ね上がり、「Michael Jackson」の検索がスパムとみなされ不可能となるという事態が起こった。Twitterでは6月29日に「1秒あたり456件」検索された。

日本において報道が最も早かったのは、東京のFM局J-WAVEであった。6月26日「〜JK RADIO〜TOKYO UNITED」の番組冒頭でマイケル死去の一報が報じられた。また、午前6時50分過ぎにはアメリカのサイトに引用された通信社の電文を放送した。その後はマイケルに関する話題に触れながらヒット曲を放送する体制となった。テレビ局の多くが、病院に搬送された時点では「マイケル・ジャクソンが死亡したと思われる」と報道し、実際に「マイケル・ジャクソンが死去」と断定して報道したのは、それから数日たってからであった。



マイケルの死は全世界のチャートに影響を与えた。全英では直後に『Number Ones』が1位を獲得。その後『The Essential Michael Jackson』が7週連続で1位を獲得。本国アメリカのBillboard 200では当時は新譜のみ扱うというルールがあり、マイケルの作品は旧譜のカタログ扱いでランクインされなかったが、サウンドスキャン集計の総合セールス[注釈 1]では『Number Ones』『The Essential Michael Jackson』『Thriller』の3作がこの週首位を上回る売り上げを記録。ビルボード史上前代未聞のことであった。



2009年7月1日、2002年に作成されたとされるマイケルの遺言書が公開された。推定5億ドル財産の内訳はキャサリンに40パーセント、子供達にも40パーセントを相続。チャリティー団体に20パーセントを寄付。またキャサリンが死亡した際の後見人は長年交友のあったダイアナ・ロスが指名されていた。

だがこの遺言書には信憑性について疑問が持たれている。弁護士ハワード・マンは筆跡の相違などを挙げ、「これはキャサリンと子供達から遺産を巻き上げるための罠だ」と主張した。またマイケルの兄弟リビー、ティト、ジャーメイン、ランディ、ジャネットは合同で文書を公開。マイケルが生前2人を毛嫌いしていたことなどを挙げ、遺言書とされるものはジョン・ブランカとジョン・マクレインによる捏造であるとした。しかし他の兄弟ジャッキー、ラトーヤ、マーロンの名前はないため兄弟間でも意見は割れていると思われる。




様々な理由から暗殺説・生存説が囁かれている。マイケルの父ジョセフによると、マイケルは母キャサリンに「僕は殺される」と話していたという。またその様子を撮影していた専属カメラマンのジョン・ウィルコックはマイケルよりも先に亡くなっている。

他にも「死の真相を手に入れる」としていた弁護士ピーター・ロペスも亡くなっている。拳銃自殺とされたが、使われた拳銃は遺体の周辺からは発見されていない。

また、当時マイケルは自分の財産を、全て自分の子供と自分のためにのみ使っており、デビューきっかけとなったジャクソン5のメンバーである兄弟には一切渡しておらず、そのことに不満を持ち弟だけが世界から注目され自分たちはデビューに利用されたうえ一切金銭も分けてもらえないという状況から兄弟間では仲が極めて悪かったという。 そのため、財産が全てマイケルの子供の手元に行く前に、マイケルの死を利用し、死亡後の大量の遺産をねらい、兄弟達が、マイケルの主治医に薬品大量投与による殺害を依頼したという説もある。また、主治医釈放後、主治医にその謝礼金が支払われたと言われている。また、主治医は釈放後のインタビューで「薬品投与はある者に頼まれた。」と発言しており、それは誰かと記者が問い返すと、主治医は「それを答えるとあなた達はもっとショックを受けることになるだろう」と返し、それ以上言及することはなかった。 なお、マイケルの葬儀の際、マイケルの子供が泣き叫んでいると、それを抱きかかえようと奪い合うマイケルの兄弟達の光景が問題視されたこともあった。それはまるで、マイケルの財産を奪い合うような光景であった。