私が諸寺巡礼を思い立ったのは、2007年(平成19年)のことだった。

北陸地方(福井・石川・富山)に、北陸観音霊場と北陸不動尊霊場の存在を知ったからである。

 しかし、この年の3月25日に能登半島でマグニチュード6.9の地震が発生し、石川県七尾市、輪島市、穴水町で震度6強を観測した。

 

 北陸の観音・不動尊霊場には、能登地方の寺院も多く含まれていることもあり、少々ためらいもあったが、能登地方の主要道路が整備されたとの報を聞き、5月から福井県小浜市から北陸霊場の巡礼が始まった。

 能登地方の霊場を訪れたのは8月に入ってから。地震の被害が大きかった、輪島市門前の総持寺・祖院(観音霊場)や、全国屈指の茅葺屋根で知られる阿岸本誓寺(霊場外)では、地震の爪痕は残っていたものの参拝は可能だった。

 また、他の霊場寺院でも、境内の燈篭が倒れたり、建物が損傷する被害があったものの、嫌な顔ひとつ見せずに、突然の参拝者に御朱印を書いて下さった。

 

 能登半島では2000年代に入ってからでも、幾度も大きな地震が発生している。また近年は群発地震が発生し、地震との戦いの日々であったと思う。

 幾度もの襲い来る地震で被災しても能登の人々は、その都度、立ち上がり日常を取り戻してきたが、今年元旦の地震では、発災20日余り過ぎたが、未だに被害の全容が見えてこない。

 

 輪島市の町野地区が孤立状態で、土砂災害の危険があるらしい、とのニュースがあった。

町野地区には岩倉寺(観音霊場)と輪島大仏の金蔵寺(観音・不動尊霊場)があるが、どの様な状況なのか気になるところだが、如何せん、余りにも情報が少ない。

 

 数日前に、テレビニュースで門前町・総持寺・祖院の被害状況が放送されていたが、山門や仏殿がかろうじて建っている状態で、回廊などは無残な姿であった。

2007年の地震で被害を受けた伽藍の修復工事が終わり、開祖の瑩山紹瑾の700回法要に向けた記念行事を控える矢先の被災だったという。

 

 日本列島で見れば、輪島や珠洲は陸の北西の端になるが、朝鮮半島や中国大陸には船を使えば直接行くことができる。おそらく、大陸・朝鮮半島との交流は盛んだったと思う。

 能登半島にはいくつもの古墳群が点在しており、古代から多くの土着豪族がいたことが想像される。また、天平から平安にかけて、行基や泰澄や弘法大師が訪れており、これらの高僧を開基とした寺院が多い。また、泰澄は能登・石動山に延暦寺に引けを取らない霊場・天平寺を創建している。(戦国時代に兵火で消失)

 さらに中世に入ると、七尾城を拠点とした能登・畠山氏によって、政治、経済、文化の中心となり、京都から多くの知識人や文化人が招かれ独特の文化が花開いた。当時、七尾は小京都とも呼ばれていた。

現在は金沢市が北陸屈指の都市となっていったが、戦国時代が終わるまでは、能登・七尾が政治、経済、文化の発信の地であった。

 

 今回の巨大地震では多くの人の命だけではなく、人々の平穏な日常さえも奪った。さらに、輪島塗などの地場産業や漁業、農業などあらゆる生産活動を奪った。

 そして発災から20日余り経過したいまも、奥能登地方の復興へのビジョンが見えてこない。このままでは奥能登地方の歴史、文化さえもこれで途絶えてしまうのでは……。

 そんな不安が頭をよぎる。

 

 最後に、

 突然の巨大地震により、多くの貴い人命が奪われました。そして、多くの人が厳しい避難生活をおくられています。心よりお見舞い申し上げます。

 そして、一刻も早く平穏な日常が戻りますように。    

                                                       合掌