手に取るとフワっと軽くて、少し力を入れるとカサカサと潰れてしまいそうな危うさ・・・どう観ても美しいとは思えないこの蝉の抜け殻を「空蝉」という美しい言葉で呼ぶ。

 

 

 

 

 

 この世に生きている人や現世のことを意味する「うつしおみ」という言葉が転じて「うつせみ」となり空蝉の漢字を当てるようになったといわれる。

 

 万葉集では「うつせみ」を空蝉・虚蝉・打蝉などと表記している。

 

     うつせみは数なき身なり山川の

         清きを見つつ道を尋ねな

          大伴家持 第20巻 4468  

『歌意』

 この世の身は、とるに足りない身。清らかな山や川を眺めながら仏道の道を尋ねてみたい。

 

 

 

 

 

 蝉の幼虫は地下で樹の根の汁を吸いながら数年を過ごした後、夏の日の夜明けに地上に出てきて樹の幹を上り適当な場所を選んで羽化の時を迎える。幼虫の背中が縦に割れて半透明の幼虫が姿を現し、だんだんと色を帯び羽を伸ばし・・・

おりからの風に吹かれながら完全な蝉の姿となる。

 

 子供の頃は、早起きしてそんな蝉の一部始終を飽きもせずに眺めていたものだ。

 

 

 

 

 

 

 ようやく脱皮して鳴けるようになっても、数日しか生きられないのはよく知られている。

 そんな儚さを、昔の人はこの世の儚さに合わせて見ていたのかもしれない。

 

 儚くても空しくても精一杯生きるのは、蝉も人も同じ。

 

 梅雨明け十日 と云われるように、いまだ雨が降らない。

 

 連日の猛暑のなか・・・今日も、全身全霊を傾けて、蝉が鳴いている。

 

 

 

 

 

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