待てど暮らせど来ぬ人を

     宵待草のやるせなさ

     今宵は月も出ぬそうな

 

 抒情歌「宵待草」として人気の曲となった三行詩は、竹下夢二のひと夏の恋から生まれた。

 

 明治43(1910)年、当時27歳の夢二は千葉県銚子の海鹿島(あしかじま)海岸でひと夏を過ごした。そのとき成田町から避暑に来ていた長谷川カタと恋に落ち、ふたりは逢瀬を重ねる。

カタはつぶらな瞳の美しい女性だったと云われている。

 

 まもなく夏は終わり、ふたりはそれぞれの家に帰るが、その後も文通が続いた。

 

 翌年の夏、夢二は再び海鹿島を訪れるが、そこにカタの姿はなかった。彼女はすでに作曲家の須川政太郎に嫁いで、鹿児島へと去っていた。

 このとき、夢二はひとりこの浜辺で待てど暮らせど来ぬ女性を想い、悲しみに耽ったと云われている。

 

 『宵待草』のモチーフとなった「マツヨイグサ(松宵草)」は、夕暮れ時に黄色い花を開き、夜に咲き続けて朝に萎んでしまう。一夜だけ咲くマツヨイグサの儚さが、夢二自身の儚いひと夏の恋と重ねられたのだろうか。

 

 

 

 

 マツヨイグサはアカバナ科のオオマツヨイグサのことで、この歌が流行るまでは待宵草というのが普通だった。北アメリカ原産の帰化植物で、夏茎頂や葉腋に黄色い4弁の大きな花をつける。

 よく月見草と間違って呼ばれるが、本来は別の花で、本物の月見草は白い花を咲かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千葉県銚子市での儚いひと夏の恋を詠った夢二の詩は、1912年に雑誌「少女」で発表された後、バイオリニスト多忠亮(おおのただすけ)により曲がつけられ、抒情詩『宵待草』として愛唱されるようになった。

 

 

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