八幡市散策の集い に参加しました。
木津川・宇治川・桂川の三川が合流して淀川となるこの隘路は、文字通り京の都の首根っこを扼する要衝の地。北に秀吉天下獲りの原点となった山崎合戦で有名な天王山、そして南から突き出して、石清水八幡宮が鎮座する男山。八幡太郎義家はじめ源氏の信仰篤く、また何でもありの南北朝内乱期には、南軍・北軍攻守入れ替わってここに布陣し京都をうかがいました。
山麓は京街道から東高野街道に沿って古い家並みが残る癒しの空間ではありますが、神社に隷属しそれぞれの職能で作務を下支えした被差別民たちの苦渋の歴史が刻まれた、いわば「嘆きの壁」を埋め込まれた街であることも忘れてはなりません。
この地はまた、江戸時代中期の豪商淀屋との縁(えにし)が深く、三川合流点を睥睨する高みに一族の顕彰・慰霊碑群が建っています。配布された資料を見ると、有名な堂島の米の先物取引を仕切る等によりビル・ゲイツも真青の桁外れの長者となり、さればこそ「出る杭は打たれる」式政治論理によって闕所(財産没収・公権剥奪・蟄居謹慎)となり没落の憂き目にまみえました。
太閤から100年後、再び「浪速のことは夢のまた夢」が繰り返された歴史の皮肉。そして150年後には、鳥羽伏見の戦いに敗れた最後の将軍慶喜が大坂から江戸にエスケープ、徳川家の息の根を止めた戊辰の役が一気に加速することになります。
歴史の光と影に思いを馳せた初冬の一日は、ライトアップされた清水寺の光と錦繍のページェントとともに幕引きとなりました。






































