人間は神に近づく念願こそ望ましい。 | ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

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人は無量の恩の世界で生かされています。一日を真剣に生き努力に生き、感謝報恩に生きる。

金剛さまは、「満足な信仰も持たずに、目ノ色変えて御利益ばかりを漁るものは、信仰でもない、本願でもない。それは欲の皮の突っ張りというものです」(ご聖訓第八巻92頁)と、現世利益のみを目的とした信仰を厳しく戒められています。なぜ厳しく戒められたのかといえば、自己の利益のみを願う信仰のあり方は、神の御心に反する物であり、そうした信仰では本当に救われることがないからです。

金剛さまは、この世には神の領分と人の領分があり、神のおはらたきである恩恵の有り難さをよく知って、それに合わせて人間が働くことによって物事は成就すると教えられています。さらに目に見えない神の恩恵を知ることができるのは、人間が神の分身霊である証拠であり、それゆえに人間には神の願いである共存共栄の世界を築く使命があると説かれています。

そして人間の生きる基本姿勢を次のようにお示しになられています。

「人間は万物の霊長なんだから自我を没却して神の心を心として、神に仕えるのが役目なんだ」
「神の心で神に仕えていれば、神様は足りない所を補って最もふさわしく運んで下さるんだ」(『恩愛の絆』85頁)

今月のみさとしの「神に近づく念願」とは、神のように全知全能になりたいという念願ではなく、与えて求めぬ神の御心を心として精進したいとの念願です。そうした崇高な念願こそ神に通じる願いであり、その
<念願を実践するところに本当の人間らしい生き方があります。さらにいえば、本当の救いや運びは、そうした営みの中にうまれてくるものです。

金剛さまは、「信仰は真行にして生活の大本なり」(『尊者のご遺文』14頁)の中で、神仏を仰ぎ信ずる信仰心は尊いが、生活の中で不平不満なく感謝で業務に精励できて、初めて信仰の目的に達することができると言われています。

今日一日、神の御心を心として天職に精進させていただきましょう。
【解脱五月号 ご聖訓第三巻73頁】

読者の皆さん、お早う御座います。
良い一日で在りますように、お祈り申し上げます祈
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