第十八願文(だいじゅうはちがんもん)【往生極楽】 | 極楽浄土~仏教用語集

極楽浄土~仏教用語集

お経の全文と意味の要約を解説いたします。

第18願を紹介します。

 

<極楽浄土に生まれるための願い>

 

【訳】もし私が仏となり得たとして、十方世界の生きとし生けるものが誠心、信心深い心、歓喜する心で、極楽浄土に生まれたいと願い、阿弥陀仏の名を声に出して十回念じてたのにもかかわらず、極楽浄土に生まれることができないなら、正しい覚りを得たとは言わない。唯一五逆の重罪と仏教の正しい法を誹謗中傷した人は除く。

 

設我得佛 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法

 

 

(1) 十方衆生:四方八方に上下を加えた方角。ありとあらゆる世界の生きとし生けるもの。

 

聖人、凡夫、善人、悪人の全てが含まれます。

 

誰一人として抜け落ちることがなく、阿弥陀仏の誓願によって救度されると約束されたのが私たち衆生です。

 

阿弥陀仏の発願は、衆生のために発せられ、その対象は私たちです。

 

私たち一人一人が阿弥陀仏の発せられた「十方衆生」の範囲の内に含まれます。

 

 

(2) 至心:至誠心。誠に至る心。極楽浄土に至る心。虚偽のない心。

 

 

(3) 信:信心。信心深い心。

 

 

(4) 楽(Sukha):幸福。喜び。楽しみ。歓喜。至福。順調。容易。

 

※ 語源はSuが良い、Khaが車輪の穴で、思い通りに進む。

 

 

(5) 乃至:つまり。中間を除く語で、主に二つの概念が含まれる。「少なくとも(at least)」と「~に至るまで(as far as)」の意味を兼ねそろえた概念。

 


(6) 念:声に出して読む。声を出して称える。ここでは、阿弥陀仏の名号を声に出して称えること。

 


(7) 十念:(仏教用語)「南無阿弥陀仏」という念仏を、十遍称えること。

 

 

(8) 唯:唯一。只。

 


(9) 除:除く。排除する。

 

 

(10) 五逆:五つの道理に逆らうもっともやってはいけない行為。罪悪行為。

 

無間地獄に落ちる悪業のため五無間業(むけんごう)とも言う。

 

具体的には、父を殺すこと。母を殺すこと。阿羅漢を殺すこと。仏の身を傷つけること。僧の和合を破ることの五つを指す。

 

親を殺すものは親に殺され、師を殺すものは徒弟に殺され、友を裏切るものは友に裏切られるなど、すべて負の連鎖を生じさせ、一生を終えても償いきれないほどの悪業を生む。

 

 

(11) 誹謗:根拠のない悪口を言うこと。他人を悪く言い、傷つけること。

 

 

(12) 正法:お釈迦様の説いた教え。佛様の教え。菩薩様の教え。

 

※ 誹謗正法したものは、決して仏に成ることができなくなるため、最も重い罪とされる。

 

 

 

■ 『観無量寿経疏』 善導

 

一切凡夫 不問罪福多少 時節久近 但能上尽百年 下至一日七日 一心専念弥陀名号 定得往生 必無疑也

 

一切の煩悩を持つ凡夫は、罪や福の多い少ないを問わず、時間の長い短いも問いません。ただし百年になろうが、一日から七日程度の時間であろうが、一心に専ら南無阿弥陀仏を念ずれば、往生が得られると定められています。必ず疑いを捨てなさい。

 

煩悩を持つ私たちは、

 

どちらかと言うと、善が多くて悪が少ないでしょうか。

 

それとも、悪が多くて善が少ないでしょうか。

 

阿弥陀如来は、その一切は問わないと仰いました。

 

 

仏教を学び念仏した時間は、

 

生まれてこの方という一生なのしょうか。

 

それとも二、三年でしょうか。

 

はたまた数日前、数時間前でしょうか。

 

阿弥陀如来は、その一切も問わないと仰いました。

 

 

大事なことは、その人が心を一つに専ら「南無阿弥陀仏」を念じられるかどうかということです。

 

決して疑わなければ(これが煩悩を持つ凡夫には難しいのですが)、往生(極楽浄土にて生まれること)は必定します。

 

 

 

■ 『般舟讃』 善導

 

利剣即是弥陀号 一声称念罪皆除 誹謗闡提行十悪 回心念佛罪皆除

 

(貪瞋痴の煩悩を断ち切る)利剣とは、即ち阿弥陀仏の名号である。ひと声念仏を称えれば、罪は皆除かれる。

 

誹謗は成仏できない機根となり、十悪を犯す。回心して念仏を称えれば、罪は皆除かれる。

 

 

 

■ 解釈

 

阿弥陀経に曰く、私たちは阿弥陀佛が既に成佛したと知っている。

 

それは阿弥陀佛の発願が全て成就したことを表している。

 

第18願では

 

〇 只、信じて,只、極楽浄土に往生したいと望んで、念仏すれば往生できる。

 

〇 只、南無阿弥陀仏と専ら称えることで、阿弥陀仏の救いが完成する。

 

阿弥陀仏の大願の船の中に座し、阿弥陀仏の光明を毎秒摂取する。

 

迷いの世界を離れ、心は喜び楽しみ続ける。