第17願を紹介します。
<御名を称えるための願い>
【訳】もし私が仏となり得たとして、十方世界の諸佛がすべて我が名を称賛しないのなら、正しい覚りを得たとは言わない。
設我得佛 十方世界諸佛 不悉咨嗟称我名者 不取正覚
(1) 咨嗟:声を出してほめたたえる。讃嘆する。讃美する。
(2) 称:称える。称賛する。
■ 解釈
阿弥陀経の後半部分には、諸佛が阿弥陀仏を称えている文章がある。
鳩摩羅什の訳した阿弥陀経では、六方と簡略されているが、玄奘の訳した阿弥陀経には十方諸佛となっているが、いずれにせよ、この因果の法則によって、第17願が成就したと見なされる。
〇 法藏菩薩が五劫の間ずっと思惟したときに、西方極楽世界が建ち上げて、生きとし生けるものを救済して解脱(救度)させる方法を考えました。
(その方法が第十八願になります。)
このことは、十方世界の全ての人に伝えただけでなく、きちんとその内容を理解できなければいけません。
もし十方の生きとし生けるものが、極楽世界を知らずに一生を終えたらどれだけ悲しいでしょうか。
もし阿弥陀仏が無条件で救度してくださることを知らずに一生を終えたらどれだけ悲しいでしょうか。
そのため阿弥陀仏は、西方極楽浄土を建立するだけでなく、生きとし生けるものを往生させる方法まで考えて、誓願を成就なされました。
〇 なぜ菩薩や声聞や縁覚ではなく、佛がその御名を称賛するという誓願を建てたのか。
これは阿弥陀佛の智慧が非常に深く、極楽浄土に関わるすべての事理と因果を理解するのには、佛の境地にまで至らなければならないからである。
菩薩や声聞や縁覚では、すべてを完全に理解することはできない。
完全に理解できていない状況で、極楽浄土の救度の法門(教え)を、自信をもって心の底から十方世界に広めるのには不足がある。
蕅益大師は「この経典は仏の境地にある。ただ佛のみがそれに通ずる。」と言及した。
浄土の事理と因果を完全に理解することのできる佛のみが、真の意味で、極楽浄土の荘厳さを称賛できる能力を有しているのである。
〇 阿弥陀経には諸佛が、舌を長く伸ばして阿弥陀仏を称賛したとあります。
この舌の形(舌相)が三千大千世界を覆うということは、信頼の度合いが不可思議な境地にまで達していることを表現しています。
小乗仏教の声聞の教理には、一人の人間が三世において一度も嘘をつかなければ、一つの身体的特徴(身相)を得ると言われています。
それが「舌を伸ばして鼻先につく」ことです。
もし一人の修行者が、三大阿僧祇劫において一度も嘘をつかなければ「舌を伸ばして顔全体を覆う」ことができるようになると言い伝えられています。
諸佛が極楽浄土を称賛するときに、広く長くなった舌相が顔全体を覆うだけでは収まらず、三千大千世界にまで及ぶと記されている。
つまりそれは、三大阿僧祇劫に収まらず、無量無辺の阿僧祇劫、不可思議兆載永劫に至るまで、一言も虚言していないことを意味している。
このようにして初めて得られる広く大きな舌相を見た人は、多くを聞かなくても阿弥陀佛の功徳に嘘偽りがなく絶対的に真実であると、一目で分かるようになる。
※ 当時お釈迦さまが在世の時に、外道のバラモン教の教徒と論争することがありました。
その時、お釈迦さまが最後に舌を伸ばして顔全体を塞ぐと、バラモン教徒はその様相を見て「言い争うことはやめましょう。あなたが正しいです」と宣言した。
〇 十方諸佛が阿弥陀仏の御名(名号)を称賛するという第17願があるおかげで、私たちは一生涯において「南無阿弥陀仏」という言葉を何度も耳にするようになりました。
さらには「釈迦牟尼仏」を知らなくても、「阿弥陀仏」は知っているという人もいるほどです。
釈迦牟尼仏は娑婆世界の教主であり、阿弥陀仏は遥か遠くの十万憶佛刹の極楽浄土にいる教主です。
それなのに、なぜ阿弥陀仏を知っている人のほうが釈迦牟尼仏を知っている人より多いという現象が起きるのでしょうか?
その不思議な現象の由縁もまた、第17願があるからだと言えるのかもしれません。
私たちが阿弥陀仏の名号を聞くことができるようになったということは、諸佛の称賛に対して深く感謝しなければなりません。
■ 『無量寿経』四誓偈の「我至成仏道 名声超十方 究竟靡所聞 誓不成正覚」にも通じている。