「ぼんやりとした不安」芥川龍之介の言った、彼の自殺の原因、最大のものだ。
自分の中にもこれが広がっている。昔から芥川が好きだったので、影響されているのかもしれない。
しかし、ぼんやりとした不安は最近抱いたものではない。もう十年以上前になるだろうか。もうきっかけは忘れてしまったが、今の仕事に疑問を抱き、同時に不安を覚えた。しかし生来のダメな性格のうえ、刹那的な生き方をしたため、そのままなんの努力もしないでいた。しばらく後、結婚をしたため、「とにかく、頑張ろう。」と。しかし、それも、とある事情で破綻。離婚してしまう。そこでなにかしらの答えをだしておくべきだったのだろう。仕事に対しての意欲も鬱病のためなくなり、休みがちになってしまった時に。ただ、あの頃は「ぼんやりとした不安」というより、はっきりと全てが不安だった。そのためもっと身近に自分の不安を救ってくれるものを求めていたと思う。その頃、知り合いの方々は「まだ若いから」といってくださった。自分でも「まだ若いんだよな」とも思っていた。しかし、今はそう思えなくなってしまった。確かに一般的には若いのかもしれない。しかし自分の考えとは違うきがする。将来に希望を抱ける人、また、なんとしてでも生きる勇気のある人なら、まだ若いと思う。「ぼんやりとした不安」と明確な疑問がはっきり自分のなかに湧き出た自分にとっては、もう若くないんだと。

人生は連続性があり、一連の流れがあると思う。なににしても原因と結果があるものだ。
もっとも精神が落ちているときに出会った女性に自分は色々依存してしまったと思う。その人が理想に近い人だったから、さらにその傾向が強くなってしまった。意識はしてなかったが、自意識過剰になっていたのだろう。なんとかうまくいってるうちはよかった。しかし仕事などで精神が不安定になりだしたころ、自意識過剰な面がでてしまった。また、必要のない嫉妬もした。結果は無残なもので、そこには軽蔑すべき自分の内面がさらけ出されてしまった。最も唾棄すべき自分の内面だ。原因は自分が作り、結果は当然自分に跳ね返ってきた。ただ、その結果を見たとき、自分が離婚した5年前、精神に決着をつけなかったための当然の報いだともわかった。その人にはあらゆる意味で感謝をしている。幸せな気持ちを与えてくれたし、楽しい時間も過ごせた。また今の自分の内面をはっきり解らせてくれた。その人がいなければ、なにかに決着をつけようなんてかんがえず、嫌なひねた精神のままだったろう。そして5年もの間頑張れなかったと思う。改めて感謝をしたいと思う「ありがとう」って。

なにをどうするか、それは近いうちにまた書きたいと思います。では。