表題のフレーズは、この私が純粋なまだ世間の慣習などに無頓着な、別の表現をすれば、うぶな頃に、最初にこころに浮かんできた願望、いや夢、空想であったかも知れません。これが最初の真理探究の始まりでもありました。そして今私は70歳を過ぎ、私としては、この一心に求めての人生でした、とにかく、そのような関係著書を読み漁り、娑婆世界では身体障碍者でありながら、27歳から25年間老人ホームで人様のお世話をして、最後は燃え尽きてしまい、うつ症状を来たし自己退職し現在に至っています。 このブログを書き出したのは、多分2017年現在まで590個投稿しているようです。主にスピリチャル系、人間の生き方、時事問題や日々の雑感等々色々と書いてきました。しかし私の70年の真理探究で表題に掲げる命題に回答となるような体験は、未だにありません。

 

 でも、希望をまだ捨てた訳ではありませんが、三次元のこの肉体では、「実体験」するのは、困難ではないのか、

今言えることは、自分のこころの中で感情として感じることだけしか、この世ではできないのではないかという思いと、

自分の心の足かせを、徐々に自分で気付いて、確認して外していければ、いやその足かせに気付くことが、外していくにつながると今は思っています。

 

 そして、真理探究で色々学んだ中で、人間はこの肉体だけが、全てではない、意識の90%を占めている潜在意識により目覚めていけば、人間の肉体には元々偉大な能力があって、いつか時期が到来したらみずから花開く様に仕組まれているとうことが、最近自分の心の中に蘇ってきていることを感じています。

 

そして更に気付いたことは、自分自身の「魂(ソール)」ともう一つ個の魂の集まりである「集合魂(オーバーソール)」の段階で、

本人の覚醒がコントロールされていて、いま私は2年前いわば強制的に精神病院に入院させられ、1年半して今退院して自宅療養中の身でが、この状態はオーバーソールの段階で制御されいるようにしか思えない状態です。つまり本人の意識向上を求められているのかもわかりません。そうゆう意味で、願望達成に5%の希望を託しています。