今回の選挙で希望党から立候補した人で落選した人は、単純に計算で公認数から獲得議席を引いた180人(比例の重複立候補者があるから正確な数ではないかも?)近くの数になるのではないでしようか? 「当選と落選」の違いは天と地の落差でしよう。メディアから落選者の「声」が報道されていますが、希望の党設立当初から関わってこられたW氏は特捜検事の経歴をお持ちの方ですが、恨み節を述べるどころか表面上は殆ど落選の無念さを出さず、後の方のためにと議員会館の自室を淡々と片づけてあった。わたしは、W氏の今後も外野から「小池氏」を何らかの形で応援していこうと思うといっておられたのを聞き潔い「人格者」だなあと、ある意味感銘を受けました。

 一方、自分の今回の落選は、小池党首の「あの発言」から「希望の党」への風が逆風に変わって、その結果落選したのだと言っている人もおられるようで、今朝帰国された小池氏の責任論を強く強調されています。

 でもそれは筋違いではないでしようか? 確かに私も小池党首のあの「サラサラないとか、排除します」の発言が希望の党の大失速に繋がったことは、私も間違いないと思います。

でも、落選者の方も「自己責任」で希望の党から出馬を決断されたのですから、小池氏の発言をもって自己の当落を判断するのは、違うような感じがします。

選挙後のメディアの報道でも、「希望の党」が当初の順風の勢いが継続していけば、安倍政治にストップが掛けられたのでないか?と、その裏実証が細かくされていたのを見てやはり世論にも「安倍政治ストップ」を望む声があったのだうと感じました。私自身も一番望んでいたことですから。でも審判の結果は真逆の結果。やはり民進党の前川代表の謂わば直観とでもいえる合流問題(合流でしか安倍政権を倒すこと出来ないという判断は、私は正しかったと今でも思っています)に対して、前川代表自身も今回の結果責任の矢面に立たされているようです。

 返す返すも、あの小池発言が悔やまれますが、結果は結果です。後はこの結果を受けて、今回の結果を良く精査して、これからの行動に生かすしかないのです。

自分の結果を他人の責任にすべきではないとわたしは思います。

人間は、その瞬間の判断で行動しているのですから、今回の結果は、その結果が出た瞬間の結果ですから、時間経過の後でとやかく言っても始まりません。