残日録1

2024.3.6

ウクライナ戦争について

2022年2月24日のロシアによるウクライ侵攻から2年が過ぎて3年目になります。血生臭い悲惨な殺戮と、ウクライナの人々の絶望と憎悪の連鎖は止まることなく続いています。ロシアでは反プーチンの反戦の声は強権で封殺され、ロシアの人々は戦争の大義への迷いと兵士帰還への望みに揺れています。ウクライナでもロシアでも戦争が終わることを人々は祈るばかりであるように思えます。

 遠く離れた日本にあってウクライナ戦争をどのように捉えるのか、わたしたちにとって考えるべき問題は何か、この問いは、この世界に生き続けようとするわたしたちの思想的課題として大変に重いと思います。

 戦争の原因とその背景について様々な報道や多くの論評が伝えられています。これらを参照すると、ロシアについては、スターリン主義社会からの脱皮を目指してソ連邦を解体したロシアの人々が政治制度としての国家政策でワルシャワ同盟機構の清算過程において錯誤と失敗を重ねた結果がウクライナ侵攻に向かったと言えましょう。ウクライナ東部や南部、そしてクリミア半島に集住する親ロシアの人々へのウクライナ政府による圧迫から解放して保護するとの名目での特別軍事作戦の展開です。そこには反ロシアを政治目的としてのEUやNATO軍事同盟への加盟をめざすゼレンスキー政権を打倒することが図られています。もちろんクリミアのセバストポリ軍港を確保することが前提とされていたことは言うまでもないでしょう。

 一方、ウクライナでは、ゼレンスキー政権はロシアの軍事侵攻に対して自衛として軍事対応することになります。そして自由のための戦争として欧米諸国、NATO加盟国に軍事、経済支援を求めます。これら諸国はウクライナへの武器、弾薬の供与をはじめ、ロシアへの経済制裁をもってウクライナ支援を展開します。ゼレンスキー政権の反ロシア政策には、ワルシャワ同盟機構の一員として小ロシアと呼ばれていた歴史を清算する過程においての親ロシア政権との対立にともなう大きな社会的混乱という経緯があります。また、歴史的背景として、ロシア帝国時代、そしてスターリンソ連邦時代の暴政、強権による人道危機へのウクライナ西部地域を主とした人々の根深い怨念が表出されていると言われています。

 ただ、ロシアの軍事侵攻とウクライナの自衛戦争の勃発には前段があります。

 

 

 

残日録2

   西澤利夫が書いています

2024.3.7

 現在までの状況を見ますと、ウクライナ戦争はロシアに対しての欧米NATO諸国の代理戦争の様相を呈しています。武器、弾薬を供与し経済制裁を発動することは本質的には交戦国であるはずですが、NATO諸国は地上兵力の投入を避けてロシア軍との直接的な対峙を避けています。また、ウクライナ軍の展開戦域をウクライナ領内に止めることを支援条件としています。これはロシアによる核兵器使用をともなう第三次世界大戦への拡大を避けるためと言われています。欧米NATO諸国の狙いは自らへの戦火の拡大を回避しつつ自由世界の防壁としてウクライナを支援してロシアを弱体化することにあるでしょう。

圧倒的に国力の劣るウクライナは兵士3万人超の戦死と国土のすさまじい破壊損失、兵員の不足、NATO諸国の支援の遅れという問題を抱えながらよく耐えています。ただ、NATO諸国の支援が途絶すると一挙に敗北に追い込まれるように思えます。一方、ロシアは経済制裁に耐えてなんとか戦力を維持しているように見えます。しかし、戦死者がウクライナの数倍とも言われており、ロシア社会の衰弱と厭戦への反動はさけられないと思われます。このような状況であっても、現状では、ウクライナは全ての自国領土の奪還を戦争目的とし、ロシアはウクライナ東部と南部、そしてクリミア半島のロシアへの帰属、ウクライナの非武装中立化を目的としているように、この戦争目的の非対称性からして停戦実現を予想するのは難しいです。

 停戦の実現を難しくしているのは、欧米、特にアメリカのウクライナ支援の目論見が錯綜していると思えるからです。世界的な政治的、軍事的、そして資本主義経済のヘゲモニー死守と従前からのNATO東方拡大策によるロシア弱体化の思惑からすれば、アメリカはロシアを勝たせてはならないのです。しかしアメリカにとっては、核兵器使用にも言及しているプーチンロシアとの第三次世界大戦を誘発しかねないロシアの敗北への局面も想定し難いのです。つまりウクライナの敗戦も、勝利も考えられないのです。アメリカ、そしてアメリカに追従するEU諸国にとっては、戦争支援を続ける他にないのです。アメリカとNATO諸国、そしてロシア果てしない疲弊、消耗が顕在化し続けることになります。このことは、わたしたちの日本をはじめ全世界に大きな影響を与えます。そして最も懸念されることは、ウクライナ、ロシアの人々の命と生活です。ウクライナ戦争は「アメリカに管理された戦争」とも呼ばれていますが、「管理」不全の泥沼のような戦争での殺し合いは人々を、そしてわたしたちをどこへ誘うのでしょうか。

 

2024.3.8

 ロシアプーチン政権の不当極まりない戦争への暴力は許されないものです。この暴力に対抗するウクライナの人々の怒り、憎悪は多大な犠牲をともなって、深い絶望、悲しみをもたらし、その苦悩は戦場に遠いわたしたちの想像を絶するものです。ただここで、戦争は外交の失敗の結果であるとの観点からも検討しておきたいと思います。

外交には三つのファクターがあると言われています。価値(感)、利益、力です。ウクライナの人々にとってロシアについての価値観、利益には東部、西部の地域差があり、政治・経済的に国内の対立、混迷が続き、宗教的にも東部のウクライナ東方正教、ロシア正教と西部のカトリックという大きな差異があると言われています。また農業国であってもロシアの影響下の東部の重化学工業と情報IT産業の西部の差異も経済的に大きかったと言われています。ソ連邦からの独立以降のウクライナ政治はこれらの歴史的差異を反映して権力体制は揺れ続けて混迷していました。国家としての統合は破綻していたと言われています。このような背景から登場したゼレンスキー政権は、欧州EUとNATO加入により、アメリカ、EU諸国の支援のもとに国内統合を図りロシアから離反して自立しようとしていました。ここでゼレンスキー政権においては、ロシアからの離反がどのような問題を惹起するか予想しえたはずです。経済力、軍事力で圧倒的に優位なロシアに対しては慎重な外交とウクライナの人々への十全なる説諭が欠かせなかったはずです。

 戦争までの前段階として見ておきたいのは、まずは、2008年8月のグルジア(現ジョージア)へのプーチンロシアの軍事侵攻です。ジョージア領内の南オセチア自治州のロシア国籍住民の分離独立を支援保護するためでした。プーチンの侵攻の決断の背景には4ヶ月前にルーマニアで開かれたNATO首脳会談での次のような首脳宣言があったと言われています。

 「ウクライナとジョージアが希望するように将来的にNATOに加わることに同意する。」

 この宣言は、冷戦に勝ったというアメリカの驕りがドイツ、フランスの異を退けて出されたもので、ウクライナ、ジョージアはなんの準備もなしにただ希望しただけのことと言われています。アメリカ主導のこの宣言は、NATOが迫ってきて、ロシアは存亡の淵に追い込まれるとのプーチンの危機感を高めるものでした。そこで、ジョージアの先制攻撃を機にロシアの南オセチアへの侵攻がなされます。そしてウクライナでは、東部での武力抗争に対してクリミア併合から親ロシア派支援を強めます。そこにはプーチンの周到な手立てがとられます。

 

2024.3.9

 2014年9月停戦合意の「ミンスク議定書」が、また、これでも戦闘がおさまらないため、2015年2月にはウクライナ、ロシア、ドイツ、フランスの首脳会談で「第二次ミンスク合意」が締結されています。この後者の合意ではウクライナがロシア派武装勢力実効支配する東部ウクライナ2州について特別の統治体制を認めて憲法改正をおこなうことが確約され、欧州安全保障協力機構の監視下で公正で民主的な選挙実施することが約束されました。しかしこの約束いつまでも果たされず、ドイツ、フランスというEU盟主国が介在した合意にもかかわらずウクライナゼレンスキー政権はまったく実行しようとはしませんでした。東部2州のロシアによる実効支配のため、ウクライナにとってはNATOへの加盟が不可能になるからです。ウクライナの背後にいるのはアメリカです。一方、武力衝突が続くこのような事態をプーチンは見過ごせなかった。

 ロシアの軍事侵攻の開始はゼレンスキー政権、そしてアメリカ、EU諸国には予期せぬことだったのでしょうか。そうだとしたら、外交能力ゼロでしょう。外交の失敗です。しかし予期し、承知していたとするとその思惑はどのようなものでしょうか。ウクライナとしてはアメリカ、EUをひきずりこんで実質的にNATOの戦争とすることでしょうか。アメリカ、EUはロシアを戦争へと誘導してロシアを消耗させて弱体化するためでしょうか。だが、いずれであっても、ロシアプーチンの意図とロシアの力を軽く見て、ウクライナの人々を絶望させていることは確かでしょう。戦場となっているウクライナでは、多数の人々の命が失われ、残酷な修羅の渦中におかれ、生活が破壊されていること、ウクライナの人々はこのようなことをあらかじめ予期し、承知していたのでしょうか。ロシアへの憎しみから愛国心が高揚しているとはいえ、このような状況はウクライナゼレンスキー政権の外交の失敗の結果でしょう。責任は重大です。もちろんプーチンロシアの責任も重大です。ウクライナの人々に対してのとんでもない暴力による人道危機の招来、国連憲章の重大な違反、そしてなりよりも重大なことは強権を持っての強制による多大な兵士の死傷とロシアの人々の生活への暴圧です。ロシアの人々もまたこのような事態をあらかじめ予期し、承知していたのでしょうか。

 ウクライナもロシアも選挙制度による国民の総意に基づく国家の政治権力体制がとられているとの建前からすれば、戦争という国家意思の発動には国民は従うべきで、戦争による苦難は受忍しなければならないと言わねばならないのでしょうか。わたしたちはそうではないと考えます。政治権力の執行者の意思、判断に誤りがあれば直ちに権力の座から引きずり降ろすことを考えるべきでしょう。このことを可能とする制度を確立すべきでしょう。人々の命や生活のすべてを危険にさらす戦争意思の発動については特にそうだと思います。たとえ受動的な自衛戦争であっても。

 

2024.3.10

 停戦を難しくしている事情として、多国間国際秩序についての思惑の混乱とその機能不全にあるようにも思えます。欧米諸国を除いて、中国、インドをはじめ多数の国々はウクライナ戦争に距離をとっています。欧州、アメリカ、そして半端な立場の日本による経済制裁にも同調していません。もちろんこれら諸国はロシアを支持しているわけではありません。ウクライナの立場を理解しつつも欧米の価値観(自由、民主主義)のお仕着せな指導的振舞いに同調せず、これら諸国の自立性を保とうとしているのです。圧倒的な経済大国、軍事大国であった第二次世界大戦後のアメリカの立場は大きく揺らぎ、中国、インド、ブラジル、さらにはインドネシア、サウジアラビアなどの非欧米諸国の国際的な力の増大にともなって、多国間の国際秩序は地殻変動を起こしていると言えます。そこにはアメリカのイラク戦争がイスラム国の登場やその後の中東の混迷を招いたこと、アフガニスタン侵攻後の無残な撤退という事象も大きく影響しています。また、アメリカの新自由主義の資本展開による各国の独自な自立性の破壊が問題視されているとの背景もあると思います。21世紀の多元的、多極的世界秩序の到来と言えるかもしれません。実際に、ロシアのプーチンは欧米、特にアメリカによる一極世界支配の構造の終焉を強く主張しています。中国の習近平も同様です。

そして当然にも国連はなすすべもありません。安全保障理事会(安保理)においても常任理事国ロシアは拒否権を行使して国際社会によるロシアの行動規制を無効にするからです。しかし、このような拒否権の行使には常任理事国アメリカによる先例があります。イラク戦争、アフガニスタン侵攻に際してです。現在のイスラエル・ハマス紛争の場合もです。ウクライナ戦争は国連という国際組織の今後のあり方について根本的な問題を提起しています。実効性のある抑止力をどのように構成するのかの問題です。

 欧米NATO諸国、特にアメリカは、武器、弾薬の供与でウクライナを支援して、自由と民主主義を守り、権威主義、強権統治体制にあるロシアプーチンを打倒しようとしていますが、アメリカの行動は非欧米諸国の賛同、協力は得られておりません。そしてウクライナとロシアの戦争目的の非対称性、欧米、特にアメリカの意思のあり方からして、非欧米諸国による停戦仲介は難しいと言えます。

 ロシアをウクライナ全域から撤退させることはウクライナ単独では不可能でしょう。事態を変えていくには、欧米、アメリカによる、ロシア国内を攻撃する長距離型の武器、弾薬の供与と戦域のロシア国内全域へ拡大を支援すること、さらには欧米、アメリカの地上兵力の投入が必要でしょう。ただこのことはロシアの核兵器使用、第三次世界大戦を惹起することとなりかねません。

 

2024.3.11

 

 ウクライナでは18歳以上で60歳までの男性の出国が禁止され徴兵に応じることが、また、ロシアでも動員徴兵に応じることが義務となっています。徴兵に応じた人々は殺戮と血みどろの戦場に張り付きます。一方では、ウクライナ、そしてロシアでも該当年齢層の男性、特に若年層の人々の国外への出国が多数にのぼるとも伝えられています。多数の女性や子どもたち、高齢者の避難はともかくとして、兵士年齢層の男性国民の国外逃避行はどのように考えることができるでしょうか。これは国家意思に背く逃亡者、非国民として断罪されるべきことでしょうか。また、様々な事情での徴兵忌避があるでしょう。戦場では逃亡、脱走する兵士や、進んで捕虜になる兵士の存在も伝えられています。これらの人々はどうでしょうか。

 今日3月11日は東北大震災のあった日です。この自然災害では数万人の人が亡くなっています。戦争は人による人に対しての人災ですが、ウクライナ戦争ではこれの数倍の命がうしなわれています。本当に悲しむべき状況です。

 人災とはいえウクライナの人々が選んだゼレンスキー政権による国家意思の発現としての戦争に賛同して兵士として進んで従事する人々も多いと思います。ロシアの理不尽な侵略に対しての自衛戦争の場合には怒りと憎悪は激しくなるでしょう。国家があって国境領土があり、そこで個人生活、家族が成り立つとの思いからです。しかし一方で、ゼレンスキー政権の自衛戦争に至るまでの外交をはじめとする政策実施の判断、そしてその戦争継続の政策に異論があり、同調できない人々にはその行動の選択肢はどのように考えられるでしょうか。国家の共同意思に従って兵役に就くことがまず考えられます。そこには社会共同性の直接的、間接的な制約や強制が背景にあるかもしれません。ウクライナやロシアの人々の歴史的な国家幻想の縛りがあるかもしれません。そしてもう一つの行動は逃避行です。この行動は、諸個人の命、人生生活は本質的に個人とその家族にのみ帰属するのであって、これを危機に晒す国家共同性の強制には従う必要はないとの思いが見てとれます。自由とはなにかの自問を抱えつつ、無国籍者になろうが、難民になろうが、逃亡犯罪者として手配されようが自らの責任であるとの思いが見てとれます。

 このような逃避行はロシアの人々にもあると思います。

 もちろん逃避ではなく厭戦、反戦の政治行動による戦争の停止も考えられますが、これが困難な場合の、国家を超え、国家を否認するための逃避です。国家を相対化するためです。生き延びるための逃避行です。

 反ロシアとしての日本は、プーチンロシアの脱走兵、逃亡者の場合にはこれを支援保護することは比較的受け入れやすいように思います。しかしウクライナからの女性たちのような避難民は別として、ウクライナの脱走者や徴兵忌避の逃避、逃亡者の場合はどうでしょうか。支援保護するでしょうか。逆に自衛戦争の前線に送り返すのでしょうか。

 

2024.3.12

 

 わたしたちは、現在のウクライナ自衛戦争やアメリカの軍事支援、そしてプーチンロシアの軍事侵攻のいずれにも人間社会にとっての普遍的な正義はないと考えます。ウクライナの人々、そしてロシアの人々が生き延びることだけが正義であると思います。自分の、そして家族の命をまもり、穏やかな生活ができることが正義であると思います。国家意思への同化、従属ではなく、国家を超えての個人の人生とその家族の生活であることを強く願うのです。国家のために諸個人、その家族が存在するのではない、諸個人、その家族のために国家が編成されるべきです。ウクライナ、ロシアの人々にとっては、お互いに共存しつつ生き延びるために、旧ソ連邦の解体後の後処理の問題として改めて国家の編成、そして国境は変更、策定されてよいと思うのです。そのためにもウクライナ戦争の即時停戦と和平交渉の開始を願うばかりです。

 ウクライナとロシアの人々の意思で、欧米の思惑、判断に依存することなしに、これ以上の人々の犠牲と国土の荒廃を止めるために停戦すべきです。真摯に和平交渉すべきです。政治的には外交の再構築を図り、2015年の第二次ミンスク合意まで戻ることも考えられます。もちろん予断は許さない状況です。

もともと旧ソ連邦の解体に伴う内戦であったウクライナ/ロシアの紛争に介入した欧州、アメリカの軍事支援はウクライナを破壊しています。自由と民主主義、そして欧州を守るためというNATO、アメリカのこの支援は無責任で欺瞞的です。自国民とその兵士の血を流すことなくウクライナの人々がことごとく殺戮されるまで武器、弾薬を供与し続ける様相を呈しています。NATO、アメリカの代理戦争としてあまりにも悲惨な状況です。第三次世界大戦はもう始まっている(エマニュエル・トッド)との指摘もなされています。NATO,アメリカは支援を停止すべきです。

遠く離れた日本で報道と数多くの論評を通じて事態の推移を見ている日々ですが、日米同盟をもって戦争のできる国へと傾斜しつつあることを感じている今日、戦争とは何か、日本の敗戦は何であったのかを問いつつ、ウクライナ戦争に注視し、考え続けたいと思います。

参照すべき論評としてエマニュエル・トッドさん、佐藤優さん、手嶋龍一さん、池上彰さんには大切なことを教えていただいています。感謝申し上げます。