ご覧いただきありがとうございますオカメインコ

ざっくりとご説明。

2022.7月に右乳がんステージ2a

トリプルネガティブと診断されました。

術前化学療法→右乳房全摘術(リンパ転移なし)→その後病理の結果、寛解となり、

2023.3月〜無治療となりました。半年後検診もなんとかクリアしました。

2024.1月1年検診もエコー問題なしでした。

2023.9月ガンとは無関係ですが、

今度は右側頭葉てんかんと診断を受ける。

てんかん薬の服用が始まりました。

備忘録として綴っています。

 

2023年1月25日

手術日当日。

朝8:40から手術予定とのこと。起床は6時。

 

弾性ストッキングを履いておいてという指示があり、昨日練習したのでその通りに履いた。

絶食なので、特に何もすることがなく、室内のカーテン越しに食事の音がしてそれを聞いていたw

 

ノートになくなってしまう右胸のことを書いた。今までありがとうって。

胸にコンプレックスがあったけど無くなるとなる日がもうあと数時間もないんだ、と思うとなんとも言えない、

言いようのない寂しさに襲われた。でも、それよりも生きていくことを選んだんだって。

 

自身で手術室まで来てくださいと言われ、地下に降りた。

誰の付き添いもなかったが、LINEで友人や家族、職場の方々応援をもらって勇気がでた。

手術室の前で夫が待っていてニコニコ

なんか照れくさかったけど、やっぱり嬉しかった。

「頑張ってこい」

と一言。

私は人生初めての手術だったけど今思うと妙に落ち着いていたなぁ。

「うん」

とだけ返して室内に入った。

 

無機質な手術室。手術台に寝かされ、点滴の針を刺すのだが、私の血管の細さは筋金入りなので、ここでも四苦八苦し始めた。

麻酔科の方と看護師は時間に焦ったのか、私を眠らせる方向にシフトしたニヤニヤ

急いでマスクをつけられて、

「吸って吸って」

と言われるがままにしていたら

 

私の意識は飛んだふとん1

 

と思ったら

 

「○○さん、大丈夫ですか?」

と声をかけられて、地球のすべての音が蘇ってきた雷耳

えっ、終わったの??

 

体感2分くらい。

目覚めた瞬間から吐き気と痛み、そして声を出したくても出せない煽り

吐き気は麻酔が切れると起きる反射らしいです。すぐに吐き気を抑える処置をしてくれた。

 

夫が病室に入ってきた。

私を見つめていた。

「頑張ったね」

「リンパの転移はなかったよ。」と言っていたけど、声が出ないのとまだ意識が朦朧としていたので

話せないし、頷くしかできなかった。

 

夫が帰り、

私も眠りに再び落ちた頃、急にベッドがまた移動されて、別室になった。

全身が管だらけ。そして足に血栓予防のマシンが装着されていて身動きが取れない。

点滴の針は両手の手の甲に刺さっていて、これが地味に痛い悲しい

建側の方しか寝返りは打てない。24時間起き上がりできない。水は飲んでいいし、スマホもいじっていいけど、

両手の甲に針が入っているので動かすといちいち邪魔で痛い悲しい

たった24時間?いや、地獄の24時間ひたすら我慢だった。

ずっとウトウトするくらいで眠れなかった。

 

夕食と過ぎていき、私は寝ながら音だけを聞きながら過ごした。

スマホも手の自由が利きづらいので限界があり、そして時間が経つにつれ、体の痛みが出てくる。

腰、首、体の体制をできる限り動かした。

消灯になり、皆さんが寝始める時間かと思ったが、意外と音はしていた。

私の血栓予防のポンプがプシュー、プシューと定期的に鳴る音が静かになった病室で響いていた。

 

私は全く眠れず、眠れなくてもなんの支障もないだろうと逆に思いっきり目を見開いて起きてやるぞ!とか変な思考になっていたw


多分、私の前のベッドの方(カーテン越しなのでわからなかったけど)

が何度もライトを点けたり消したりしていて、同じく眠れないのかな?なんて気にかけてたら、

何度目かのライトが点灯した時に

「もう!なんなの!*#★!!いい加減にしてよ!寝れない***」

と怒りむき出しで発狂し始めました。

聞き取れないけど明らかに文句を言いながら怒ってました。

誰か毎晩何か迷惑行為をしているのか?

 

でもたまにガサゴソしてる人はいたけど特に迷惑な人はいない感じだけど。。

 

まてよ?

私のこのポンプの音??驚き

えっ、そうだったら私は何もできないよ!?

ごめんなさい?でもないし、しょうがないじゃん?

 

明日の先行きが不安です。。

 

その後しばらくしたらその方の声も点灯もなくなったけど、私は早く明日が来ないかと時計ばかり見ていました。時計


そんな時って時間が過ぎないんですよね~泣き笑い