私の小学生時代も周りの友達などは皆、習い事のひとつやふたつは当然の如く必須科目であって、芸術心のない私に何かしらの習い事をさせようとする母のプレッシャーは半端なかった。
身体は小さかったが、とにかくお調子者の暴れん坊だったので母も何かしらのスポーツを私にやらせた方が得策だと思ったらしく、セントメリーという名のアメリカンスクール内のスイミングスクールに通わされることになった。
たかが習い事とはいっても、まあとにかく練習もきつく、いつも逃げ出すことばかり考えてた。
それでもなんとか頑張って四年生から六年生までの三年間は通い続けた。
おかげさまでバタフライまで全ての泳法をマスター出来るまでになりました。
しかしながら、とりわけあまり良い思い出もなく、アメリカンスクールの外国人の子供とよく喧嘩したことや、いつもスイミングパンツからお尻の割れ目を出している通称「半ケツ先生」のことや、そのスイミングパンツにセンスのないスクールのマスコットのカッパが描かれていたことだけが今でも鮮明に思い出される…
つづく・・・
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