1969年・・・アポロ11号が月面着陸に成功し、ジミ・ヘンドリクスがウッドストック・ロック・フェスティバルで「星条旗よ永遠なれ」を感情豊かに弾き倒した年に僕は産まれたんだ。
父:光彩、母:満枝との間に長男として山口県小野田市民病院で産声をあげた。
身体はあまり大きくなく、痩せっぽっちな幼少時代は特に大病もせず、平凡に育っていったらしい。
母の記憶では、まだ言葉もあまり話せない3歳のときにはじめて憶えた歌謡曲が尾崎喜代彦の「また逢う日まで」で、幼稚園に上がる頃には西城秀樹に夢中だったそうだ。
そんな平凡な幼少期を終え、世田谷区立中町小学校に入学するまでは戦隊モノやアニメの主題歌、ポンキッキなどの児童歌、歌謡曲などテレビやAMラジオから流れてくる楽曲を消化していった。
そんな中、初めて洋楽というものに触れたのは小学2年生の頃で、母方にヤングな叔父(当時20前後の母の弟)がいて、「C-60」というカセットテープに沢山の当時のヒット曲をダビングしてもらって聴いていました。
KISS・Queen・ベイシティローラーズ・ABBA・Earth,Wind&Fire・オリビア・ニュートンジョン・・・・・・・・・などなど。
今思うと特にその洋楽にノックアウトされた訳でもないが、当時ダブルデッキもない時代に叔父がFMラジオからエアチェックした楽曲をラジカセからカセットデッキへせっせとアナログダビングをしている姿に叔父への尊敬の念、大人への憧れが芽ばえてきたのでしょうな・・・
つづく・・・