2014年2月7日(金)
HEYAZINEさんの特集記事のインタビューです。
しっかり取材していただきボリュームも内容もとても素晴らしい記事にして下さいました。
http://heyazine.com/article/interview_nishiwaki_tatami


こちらが記事です

ITANDIインタビュー 『西脇畳敷物店 5代目店主 西脇一博さん』

“洋間にも畳”が流行の兆し? 今見直される「畳のある暮らし」

住まいを考えるうえで、避けて通れないのが「畳」。茶道や華道など、日本文化は畳とともにあると言って決して大げさではありません。また、素材となる澄んだ香りの“い草”は、暮らしにリラクゼーション効果をもたらします。どんなに日本人の生活が洋風化しようとも、家を選ぶとき、家を建てるとき、「せめてひと部屋でも畳敷きのスペースが欲しい」と願う人はきっと多いのではないでしょうか。

畳の生産地として有名なのが、京都。全国の寺社仏閣やお茶室に使われる「有職畳」(ゆうそくたたみ。いにしえの儀式・作法の定法に基づいて作られた畳のこと)の85%は京都で作られ、それゆえ京のみやこには日本中から上質な素材と優秀な畳職人たちが集まってきます。

職人の街“西陣”エリアに工房を構える「西脇畳敷物店」も、そのひとつ。1869年、明治2年創業。145年という途方もない歴史を誇るこの老舗は、「頑張ろう畳屋さん未来塾」というワークショップを開講し平成生まれの若者にも技術指導を行うなど、畳文化の継承に日々努めておられます。

さらに、ほとんどが製造専門だという畳業界において、洋間にも対応したリフォーム部門「インテリアニシワキ」を兼ね備え、家づくりや改修プランの段階から相談に応じるのも特徴。バッグやネクタイなどの日用品、果てはサーフボードや楽器、アート作品などユニークな創作で「京たたみ」の魅力をアピールし、多様化したライフスタイルに応えようと奮闘する5代目店主の西脇一博さん(47歳)にお話をうかがいました。

10年ものサラリーマン経験を経て畳職人へ転身

――西脇さんは全国畳産業振興会から「畳ドクター」に認定され、畳づくりのワークショップで技術指導にあたられるなど、京都の住宅建築の世界ではなくてはならない存在ですが、もともと畳職人志望だったのですか?

いえ、そこまで深くは考えていませんでした。大学を卒業してから証券会社に7年半、資材商社に2年半、およそ10年間サラリーマンをしていました。親父(四代目:西脇方彦さん 京都畳技術専門学院指導員)も僕に「継げよ」とは言いませんでした。親父と僕とでは歳が24しか離れていないんです。僕が大学を出た頃、親父はまだ47、48歳の働き盛りの職人でしたから、跡取りのことをすぐに決めなきゃならない状況でもなかったんですね。

僕が畳職人になったのも「外の世界も充分見てきたことだし、そろそろ継ごうか」という感じで、強い決意があったわけではなかったんです。畳づくりに情熱を燃やし始めたのは、むしろ職人になったあとでした

註*「畳ドクター」
全国畳産業振興会に加盟している畳職人を対象に、畳に関する全般的な診断(アドバイス)や健康によい畳の選別などができる“畳のプロフェッショナル”として認定する制度。

伝統工芸の街である京都で下手なものは作れない

――明治二年創業という永い歴史を誇る老舗をお継ぎになってみて、どのような感想をいだかれましたか?

責任の重さを痛感しました。京都のお客さんは目が肥えているので、絶対に騙せない。うちの店は世界有数の着物の産地“西陣”にあります。高度な技術を持ち、美へのこだわりが強い職人さんたちが住む街なんです。ヨーロッパの技術者たちが西陣の職人のワザを見て、みんな驚くんですから。

そんな場所で「代が変わって腕が落ちた」なんて噂が立てば、職人どうしのネットワークでたちまち広がり、お得意様をすべて失うことになる。うちだけの問題じゃない。西陣そのものの評判を落とすことになるのですから、下手なものを作ることは許されません。

だから作業のひとつひとつが真剣勝負。当時から今に至るまで休みの日でも練習を怠りません。京都ですから、お客様の中には茶道家の方もいらっしゃいます。お茶室の畳は茶道家の美意識が反映しますので「畳の目がきっちり揃っているか」「畳の隅がきっちり整ってるか」「材料の選別は確かか」など多様なこだわりがあるんです。でも難しい仕事にチャレンジするのが京職人の伝統ですから、常に緊張感と情熱をもってお応えしています。

和室でもない洋間でもない、新しい概念の部屋がムーブメントに

――畳屋さんの多くは製造販売を専門に行っていますが、西脇畳敷物店はトータルリフォーム部門「インテリアニシワキ」を開設している点が大きな特徴だと思います。これは5代目である西脇さんがお始めになったのですか?

そうなんです。先代から少しづつお客様のニーズにお応えさせていただいているうちに、家に関するあらゆる御用命をいただけるようになりました。ならばと、思いきって始めてみたんです。

最近は畳製造以上にそちらが忙しくなってきました。畳を張り替えるだけではなく、カーテンをはずして障子に替えてみたり、クローゼットを床の間にしたり、クロスの天井を網代(あじろ。木を幾何学模様に編んだ意匠のこと)にしてみたりなど、畳のある空間をどうより良く演出するか、暮らす人のことを考えてどうアドバイスできるか、それが僕らの世代に与えられた課題だと思うんです。

京都では「町家カフェ」や「町家レストラン」など、単なる和室でも単なる洋間でもない、“うねりのある部屋”と言いますか、どちらのいいところも採り入れる新しいムーブメントが起きているんです。

日本人だからって完全に和風ではもう暮らせない。でも完全に洋風でも息苦しい。和と洋のあいだにはいろんな選択肢があって、住む人の立場になって、お客様の意見を聞いて、こちらからも提案して、その落としどころを僕らは見極めていかなければならないんです。

どんな畳が欲しいのか、遠慮なく言ってほしい

――なるほど。しかし洋間と和室では部屋の比率が違いすぎて畳が合わないのではないでしょうか?

誤解されている方が多いのですが、畳というのは基本的にオーダーメイドなんです。その部屋に合うように寸法を測り、厚さなど細部も状況に応じて作ります。実際に先日「フローリングのワンルームに畳を敷きたい」というご要望あり、部屋のサイズに合う薄めの畳を作りました。

ほかにも「腰が悪くなったから畳の上で寝たい」「床暖房がどうも身体に合わないから畳を敷いてほしい」というご注文もあって、これも対応しました。そして皆さん、「マンションだけど、やっぱり畳があると落ち着くわ~」「畳があると部屋が“締まる”ね」とおっしゃいますね。

ですから、まずはなんでも相談してほしいんです。畳は皆さんが思われているよりずっと柔軟なもので、必要とあればカーブにも合わせて作ることができる。百人いれば百様の家、百様の生活があります。「畳は四角くなければならない」という常識にとらわれず、住む人の環境に寄り添うものでなければいけないと思うんです。

茶室の畳だって初めはアバンギャルドだったはず

――確かにお店に入ると円型やハート形の畳、畳でできたサーフボードやスノーボードまで展示してあって、「畳は四角くなければならない」という常識がたちまち覆されます。とてつもない技術に感心しますが、とはいえおよそ150年も続く老舗ですから、こういった創作に対して周囲の反対はありませんでしたか?

なかったです。それどころか、そもそも円型の畳にチャレンジしたのは親父なんですよ。以前「大きな酒樽で茶室を造りたい」という依頼がありました。酒樽ですから当然、底はまん丸。これに畳を敷くとなると同じく丸く切らないといけない。ほかの店なら「畳は四角いのが決まりだ」と言って断ったでしょう。それに丸く作るのは、決して簡単ではない。ところが親父はこの依頼を引き受けたんです。そして丸い畳によって見事に酒樽の茶室ができて、大勢の人が喜んでくれた。それを見て、感動しましてね。「畳ってハートとハートが触れあえるコミュニケーションの場なんだな」って。

■左:パンキッシュなデザインのハート型クッションやバッグなど 右:畳で作られたスケートボードやスノーボード

ことさらに、面白い畳を作っているわけではないんです。伝統を重んじ、両輪としてやってゆくものだと思っています。ただ、今でこそ当たり前になっているお茶室の構造だって、戦国時代はそうとうアバンギャルドだったでしょう。畳を切って、床に穴をあけて火を入れて湯を沸かすなんてね。でもそれがのちに文化となり、伝統となった。和食が無形文化遺産に登録されましたけど、平安時代から比べると素材も調理方法もずいぶんと変わっているはずです。やりながら少しずつ変えてゆくことが、新しい伝統を生みだすのだと僕は考えているんです

■畳で作られた円形のクッションを重ねるとハンバーガーになる

畳で作った楽器を演奏してPR活動

――西脇さんは畳で楽器を作り、さらに演奏をしながら畳の普及につとめていらっしゃいますね。畳で楽器を作るなんて、すごい技術ですね。

およそ12年前から、畳で楽器を制作しています。ギターやバイオリン、チェロ、アコーディオン、ドラムセットなどなど40種類以上ありますでしょうか。足で踏みながら演奏する畳ピアノもあるんですよ。

■左:踏むと実際に音がする畳ピアノ 右:畳で作られた弦楽器の数々

そして2010年に畳をPRする音楽ユニット「日本畳楽器製造」を結成しました。畳でできた楽器を演奏し、見て、聴いて、触れて、楽しんでいただきながら日本の伝統工芸の素晴らしさを世界中の人々に広めてゆくことが当初の目標だったんです。実際に外国人のお客様に観ていただいたり、セッションしたこともあります。

ギター自体が「畳」という文字になっていたり、五重塔の形をしていたり、けっこう凝っているんです。「畳って、こんなこともできるんだよ。こんなに親しみやすいんだよ」と知っていただけたら嬉しいです。もちろんどれも楽器としてちゃんと演奏できます。難しいのは楽器本来の音が消えないようにかたちづくっていくところです。

バンドメンバーは登録制で現在65名。ライブの日に身体が空いている人が集うというシステムです。そのうち畳職人は4人。あとは、畳に興味をいだいて参加してくれた、さまざまなジャンルの人たち。

バンドを始めたのは畳が世の中から減ってきたことに危機感をおぼえたからなんですけれど、やっていくうちにだんだん、畳自体のPRよりも、畳が人と人とのコミュニケーションを育むツールなんだと知ってもらうほうが大事なんじゃないかと思えてきました

畳が育む家族のコミュニケーション

――畳でできた楽器による演奏など日頃から畳の魅力を伝播しようと努めていらっしゃる西脇さんですが、ユーザーにもっとも伝えたいことは何でしょうか?

畳を使って復活させたいのは、家族の団らんですね。家の中には「生活の基盤となる部屋」がひとつあったほうがいい。お茶の間に家族が集まって話をするうちに、お互いの体調を観たり、悩み事があるんだなってわかったり。今そういうのがまったくわからない時代でしょう。家族どうしが家の中でメールで連絡しあったりするのって、さすがにおかしいと思うんですよ

それに、むかしは結婚式や結納、法事も家でやったじゃないですか。障子やふすまを取っ払って部屋を広くして、家族や親戚が集まってお祝いごとをしたものです。大勢の集まりは、畳の部屋だとスムーズにいくんです。

年末になると家族総出で畳を叩いてホコリを払い、障子を張り替えて、大掃除をしました。そんな、畳を取り巻くコミュニケーションがあったと思うんです。単なる和室の復興ではなく、畳が家族や住む人どうしを結ぶきっかけになればいいなと考えているんです

――西脇さん、貴重なお話をどうもありがとうございました。

text/吉村智樹

PROFILE

西脇一博(にしわき かずひろ)
畳職人

京都市上京区にある「西脇畳敷物店」の5代目店主。
全国畳産業振興会認定による「畳ドクター」。大学卒業後、会社員を経て、家業を継ぎ職人の道へ。
伝統的な畳製造に取り組みながら、その魅力を広く世間に伝えるべく、楽しくユニークな創作畳を生みだし続けている。
モットーは「悲しくなるものはつくらない。くすっと笑えるものを」。
また畳PR音楽演奏ユニット「日本畳楽器製造」のリーダーを務め、日本各地でライブを行っている。
ほか、障がい者のアート活動「Genmo・1畳美術館」のプロジェクトに参加し、畳による社会貢献に日々勤しんでいる。

西脇畳敷物店
創業明治2年、145年の歴史を有する老舗の畳工房。労働大臣認定一級技能士の店。また近年の住環境や志向の変化に対応し、トータルリフォーム部門「インテリアニシワキ」を設立。総合インテリアの企画・設計・施工を行っている。2013年1月より畳業界で働く若い世代、後継者(30歳まで)を対象とした「頑張ろう畳屋さん未来塾」を開講し、技術指導にあたる。