コロナで騒がれる去年の初め頃、ある番組のリサーチで南部ペルーのマドレデディオス県にあるプエルトマルドナードという町に行きました。

戦前はゴム景気で多くの日本人移民がいたと言われている町です。

昔は陸の孤島でしたが、近年はブラジルからペルー太平洋側に抜ける幹線道路が開通したので、町は多少発展してきています。

日本の戦前の南米を紹介している書籍には、町には多くの日本人がいて、南米秘境の日本人町という書き方もされていたので、もしかしたら町として機能し始めたのは日本人が入植してからなのかもしれません。

 

町には日系人協会があって、調査で訪問した僕を暖かく迎えてくれました。

会長は少し日本人のような風貌をした方で、もう、日本語も日本の文化もほとんど継承していない日系社会なので、今後、もう少し日本の文化などを取り戻してゆきたいと語っておられました。

現在も混血化は進んでいますが、日本の血を受け継ぐ人はこの街に

300人程はいるようです。

ペルー日系人協会の「ー」が縦書きでも横書き表記なのはご愛敬!www

 

で、町の共同墓地には位牌堂もあるよということで、連れて行ってもらいました。

 

国に戻ることなく、この地の土になられた方々に合掌。

 

ジャングルでみんな農業してたんですね。話では最初に水田を作ったのも日本人ということでした。なので、昔はコメの生産が盛んだったようです。

 

会長さんの案内で、郊外にある小さな村が日本人の名前がついていることを聞いて訪問しました。それから暫くして、村の学校の後見人にさせられて式典にも呼ばれました。

また、行きたいけど、コロナがまだまだ落ち着かないので行っていません。

 

皆さんどうしてるのかなぁ~

その昔、イツヤマさんという人が村の顔役だったので、イスヤマ村となっていましたが、イツヤマ(ITSUYAMA)に変更するとかしないとか言ってたのを覚えています。

 

過去の資料を調べたところ、この地域には「トーキョー移住地」とかもあったと記載がありました。

今、残ってるのはこの人口30人程度の小さなイスヤマ村と、ちょっと大きくて地名として地元に定着しているマスーコ町(増子さんが開いた村)というのもあります。

 

最近、ここペルーの首都のリマは寒くなってきました。

あったかいジャングルに行きたいっす!