人は悪いニュースを説明する時、
その理由を統計的、論理的に、
覆せないほど武装して話す。
見てきた事実を細かく表示して勝率の低さを訴える。
しかし"事実"は1種類ではない。
あくまで全体を見渡した時、その傾向が強いと判断したに過ぎない。
音楽業界を見てる人は「音楽産業は死んだ」
サブスクの浸透でアーティストは曲を作っても売れない、
カラオケ配信程度の印税とライブやグッツ販売しか商戦略がない彼らにこの時代をどう生き抜いていくか?と蔑んでいる。
確かに商売目線で音楽の価値が変わった。
が、個々のアーティストが音楽に乗せる情熱はいつの時代も変わらない。
しかしその情熱も今、顧客達は求めていないと発信している。
その根拠にひとつ挙げられるのが、
「DAW(音楽制作ソフト)の普及によるミュージッククリエイターの総人口が増えたこと」で、
音楽は音楽人だけが持つ武器では無くなった。
パソコンとDAW、またスマホアプリだけで音楽を自由に作れる入り口の広さと
SNSに載せて人と交流できるコミュニケーションツールとしての需要、
そしてYouTubeの浸透で音楽は映像と抱き合わせで評価されるようになり
純粋なミュージシャンの存在価値が薄れてきていると言う。
家電や車、パソコンや携帯電話など、
持っていない劣等感と手に入れた優越感が
価値を大きく印象付けてきた。
そして大体のものは手に入り、古いものは余り
新しいものは機能的な天井を物語っている。
AIが開発され、雑用や生活補助ができれば人はどこに価値を見出すのか?
欲しいものはあるか?
自分は特別だと思う価値はあるのか?
非常にバカバカしい話である。
情報を多く仕入れても主体性が無ければただの傍観者であり、決め付けだ。
各アーティストの収入が減ったとしても、音楽に関わる総人口が増えれば
音楽はより身近なものになったと考えられる。
さらに表現者は叩かれ倒されても起き上がる事を繰り返している。
表現者であり続けるために、常に色んな障害と戦っている。
売れない、儲からない、生きていけない、
果たして音楽を辞める理由はそんな事だろうか?
自分の価値は顧客が決めるのだろうか?
自己承認欲求と自己表現欲求が曖昧なのでは?
音楽のポテンシャルは言葉で計り知れない。
映画やアニメの主題歌が作品に花を咲かせるように、
生きて味わう自己のドラマ(人生)に色を付ける。
その価値は事実上の需要を超えて、必要な人を釘付けにし惚れ惚れさせる。
"世の中"を語ったり"日本人"を語ったり、なにかと総評を言いたがる人は基本的にマイナス思考だ。
マイナス思考は表現作品を生まない。
自分の感性を信じ、したたかに努力を積み重ねていくのみ。
音楽は死なない。
自然淘汰され、生き残った芸術が正解と言われるだろう。
悪いニュースの評論家に精一杯の反論を書いて終わりにする。