GWに、家の補修をDIYでやった。

 

気になりながら先延ばしにしていたことだった。

 

なんとなく億劫で何かと理由をつけて先延ばしにした経験のひとつやふたつは誰にでもあるだろう。

 

私自身の体験を振り返ってみるとそれに含まれる性質は、

 

どうすればいいのかよく分からないこと、

 

やり終えることができるか見通しが持てないくらい膨大に思えること、

 

やった結果さらに難しい問題や不利益が発生する可能性があることなどだ。

 

その先延ばしにしていることをいざやろうと思うときに体感されることは「重さ」だろう。

 

そう。「気が重いなぁ…」と口ずさむあの感じだ。

 

そして、「自分はやる気がない人間だ」などと思ってしまうこともあるかもしれない。

 

一方で、人は、その重さをどうにかして、実際に取り掛かってみると、案外大したことはなく、「それならもっと早く取り掛かればよかった」と思った経験もあるだろう。

 

もちろん予想通り大変なこともある。

 

それでも、取り掛かれば少しずつ前に進んでいることが感じられ、その先に起こることを引き受ける覚悟も少しずつできてくるように思う。

 

やはり、「取り掛かる」つまり「行動する」ことで、道が拓かれるのだろう。

 

「取り掛かり方」については、人それぞれだと思うけれど、

 

通底することは、取り掛かる前の「重さ」を軽くすることだろうと思う。

 

やらなければならないことなら、「これとこれだけやろう」「ここまでだけやろう」というふうに、

小さく区切ること。

 

そして大事なのは、その小さく区切ったことさえも「やりきらなくていい」というふうに、自分を許すこと。

 

それが、気を「軽く」することになるからだろう。

 

夏休みの宿題も、よく分からない公的な申請手続きも、仕事上の難題も、

 

うまくいくかどうかなんて考えずに、そうやってとりあえず取り掛かってみることで、道が拓かれる。

 

「重く」感じさせているのは自分で抱いたイメージなのかもしれない。

 

 

西尾心理カウンセリング 西尾