先日、非常勤講師として大学で講義を行ったときのこと。
ある事柄についてその歴史を振り返る中で、
「いつも歴史を動かしてきたのは、困っている当事者や強い信念を抱く者の具体的な行動で、
最初はマイノリティであったのが人々の共感を得てマジョリティに至り、
社会が変わり、歴史が動くのだ」
というような当たり前のことを熱く語っている自分がいた。
多様性が叫ばれる昨今、その難しさの背景のひとつには「マジョリティ-vsマイノリティ」という壁があるように思う。
「出る杭は打たれる」という言葉が示すように、
日本では横並びであることが暗黙の掟として求められ、期待されていた歴史がある。
それはかつて農耕が生活の基盤であったことに根差しているのかもしれない。
いずれにしろマジョリティであることが「普通」であり、マイノリティは「普通ではない」というような感覚は、そのことと無関係ではないように思う。
世の中で生起する事象に触れて私が何かを思ったとき、
それはマジョリティの視点で見てはいないかということを常に確かめてみたいと思う。
西尾心理カウンセリング 西尾