カウンセリングの場でこれまで多くの人との出会いと別れを繰り返してきた。

 

カウンセリングの場では、その人が抱える悩みや問題と思っていること、解決したいと願っていることが語られ、そこからやりとりが始まる。

 

そして、そのやりとりを通して数々の不運な巡り合わせや避けようのない理不尽に何度も遭い、多くの傷つきを抱えていることを知る。

 

そして、それにもかかわらず、また現状はどうあれ、ここまで生き抜いてこられたことを知る。

 

 

カウンセリングでは、問題とされていること以外に様々なことについて話し合われる。

 

そんな中で、時折、ワイフワークが見えることがある。

 

「ライフワーク」についての私なりの定義は、

 

ずっと関心を持ち続け主体的に関わっていることだ。

 

そして、そのライフワークは自分の身に起きた様々なことと決して無関係なものではない。

 

だけど、往々にして自分ではそれに気づいていないことが多いように思う。

 

ライフワークは、ある意味でそれ自体が癒しであり、

 

生き抜いてきた自己の証明や自己への強い肯定、

 

そして、同じ苦しみを抱えている人たちへの支えへと繋がっていくのかもしれない。

 

 

西尾心理カウンセリング 西尾

 

 

「キミは何のためにそれをしてるの?」

 

そう聞かれて改めてそもそもそれを始めた目的を思い出すということがある。

 

あるいは、「えーっと、どうだったっけ・・・?」と、すでに忘れてしまったこともあるかもしれない。

 

もちろん何となく始めたから、目的と言われてもわからないということもあるだろう。

 

おそらく、例えば「将来、自分のためになるから」とか「誰かのために必要なことだから」と頭で考えて、自分にそれを課すという形で始めたものもあれば、

 

ただ興味や楽しさに惹かれ魅力を感じて始めたものもあるだろう。

 

だから、時折立ち止まって「そもそもどうしてこれをやっているのだろう?」と自分の心に尋ねてみる。

 

すると、

 

何となく始めたけど、やり始めたあの頃の自分を振り返ってみて初めてそれに気づけたり、

 

特定の誰かのためだと思ってやっていたけど、すごく自分のためになっているということに気づけたり、

 

逆に、自分のためにと始めたことだったけれど、実は誰かのためになっていることに気づけたり、

 

最初は義務的にむしろ嫌々やっていたけど、今はすごく夢中になっていることに気づけたり、

 

目的や意味を思い出して、煩わしさや責任感や負担感から少し解放されたりするかもしれない。

 

そして、そのような発見や気づきが起きると、

 

強くなった自分、感性が豊かになった自分、広い視野で見ることができるようになった自分、相手を思いやれるようになった自分など、成長した自分ときっと出会えるだろう。

 

普段、「自分は何も成長していない」とか、「ダメダメだ」と思ってしまうことがあっても、

 

こうして、いつもやっていることについて振り返ってみることで、

 

実は成長している手応えを感じることができるのかもしれない。

 

 

西尾心理カウンセリング 西尾

 

 

先日、大学で「児童福祉の仕事の実際」と題してあれこれ話した。

 

そのとき、様々な感慨とともにありありと当時の場面や光景が自分の中に蘇っていた。

 

個々の実務を通して得られた経験知を、

 

これから社会に出ようとする若者に伝える機会が得られたのは、自分にとって喜びだった。

 

きっと学生たちは受け取ったものをそれぞれが体験を重ねながら検証し、

 

自分のものとしたり、新たなものと組み合わせたりするなど、

 

彼らにとって何らかの刺激になったらと思う。

 

時代が進み社会の中で生まれた急速な変化は、家族や個人に対して直接に間接に影響を与える。

 

それは子育てや生計などにおける夫婦の動き方などに、日常的に見て取れる。

 

だけどそれは昨日今日始まった変化ではなく、昔からずっと世の中は変わり続けてきている。

 

そんな中にあっても、人には変わらないものがある。

 

花を見て美しいと感じる心

 

何かを達成して嬉しいと思う心

 

誰かを失って悲しいと思う心

 

誰かを思いやる心

 

誰かと繋がり心を通わせてほっとする心

 

そういった人の心は、これまでもそしてこれからも変わらないと思う。

 

こうして人と人とは様々な形で支え合いながら暮らしてきているのだから。

 

 

西尾心理カウンセリング 西尾