こんにちは!
西尾で読書会。の宮子京(みやこ けい)です。
5月末とは思えない厳しい日差しの中、早朝に散歩をしてきました。
そして、早朝の神社のお参り。
朝の爽やかな空気をたっぷりと肺の中に吸い込み、1日を気持ちよく始めることができました。
そこで、私は、ふと疑問に思いました。
「神社のお参りも、日本の古くからの慣わし。そもそも、平安時代ごろ、それこそ古文と言われる文物が著された頃は、お参りなどを貴族たちはどのように行っていたんだろう?」
考え方が深くなった今のものすごく素朴な疑問です。
今風の表現を絡めると、1000年くらい前の人々は、どのような「パワースポット巡り」をしていたのか?ということです。
そのようなことを考えていたときに閃きました。
「高校生向けの本を読んでみよう!」
という訳で、今回ご紹介する、
荻野文子『マドンナ古文常識217 パワーアップ版』Gakken、2021年
を読んでみました。(ちなみに、このマドンナ古文シリーズは、私が10代の頃に既刊でした。)
現代を生きる私たちからすれば、
「なんで、そこまで気にするの?」
と思うようなことも、平安時代を生きる人々にとっては、真剣な悩み事だったりした訳です。
実際に、私も久しぶりに古文にしっかり向き合ってみて「へ〜!!なるほど!!」と、10代の頃とは違った感想を持ちました。
「昔も今も、ヒトの本質って変わらないんだな」
と思うと、なんだかちょっとホッと安心しました。
おそらく、このことに関しては、この地球で私たちの後の1000年後を生きる人々もおそらく同じような感想を持つことでしょう。
私がこの本を紹介させていただいた意図としては、
本は、この地球からはるかに離れた宇宙の端っこがどこなのかという距離感覚的な話のみならず、歴史の時空までも一足飛びに飛び越えて伝える最強のツールだということをお伝えしたいのです。
特に、今の時代は、ICT技術の発達に伴い、「ちょっとした生活の知恵ならば、検索すれば世界中からの情報がヒットする可能性がある」、そのような世の中になりました。
そのような世の中であるからこそ、今、自分の足が実際に着地する日本列島の古くからの歴史や考え方にも目を向ける必要があると思います。
日本古来から伝わる生きる知恵や考え方に立ち戻ってみる時間が有っても良いのではないかと思いました。
さて、この本の面白いところは、時折挟み込まれるように描かれる可愛いイラストが非常に面白いです。
活字のみの本には「想像の世界に遊べる楽しさ」がある一方で、「考え方」といった目に見えない対象などについては、「イラストが添えられていると世界観に入っていきやすい」ということがあります。
話は少し変わりますが、「今、恋をしている最中(準備中)な方こそ古典を真剣に学ぶと恋愛力が上がる」と私は考えます。
その理由はというと、「自分磨き」に日々勤しんだ平安貴族たちの生きていく姿勢です。
推察するに、平安時代の貴族たちの自分自身の心の心理描写能力はおそらく相当に高かったと考えられます。
現代においても、長々としたラブレターよりも、シンプルなラブレターの方が気持ちが伝わりやすいとも聞きます。
現代まで残って読み継がれている歌が、これまでに詠まれた歌の一部だとすると、歴史の表舞台には出てこない秀逸な歌もたくさん詠まれたはずです。
私が個人的に思ったのは、和歌で告白するのは現代の感覚に変換すると、「Twitterの140文字の制限下で、噂に聞く素晴らしい異性に告白をする(もしくは、告白される)」というような感じになるのではないかという仮説です。(さらっと書きましたが、自分がその立場に置かれたら、ちょっと戸惑う…、かな。汗)
この本を、じっくり最後まで一通り読んでいただければ、平安時代の人々が、何をどのように考えたり、日常生活で使用して過ごしていたのかを現代の私たちが知るきっかけを掴むことができます。
最後になりましたが、本日も記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回!