こんばんは!

西尾で読書会。の宮子京(みやこ けい)です。

 

 

 

今回の記事では、私がこれまで生きてきて思ったことを少し多めに書きます。

 

少し長めの記事になりますので、お時間のある方は少しお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

さて、いきなりわき道にそれた話になりますが、義務教育期間中に太宰治の名作『走れメロス』の抜粋部分を初めて読んだときの話です。

 

その当時の私は、太宰治の手による文章の裏側に脈打つ、

 

「自らの命をも懸ける覚悟の高度な人間関係の構築」

 

の素晴らしさを感じ取れるほどの読解力や心の理論が獲得できていませんでした。

 

 

現在の年齢まで生きてきて分かったことですが、

 

誰かのために命を懸けるということの偉大さという視点で読むと『走れメロス』は非常に凄い話です。

 

歳を重ねるにつれて関係性が複雑化していく「友達」という存在に対する認識のアップデートが

 

今でも私の発達段階において同年代の方々に追い付いていない感が有りますが、

 

こういった点を含めて、現在の私は、自分に欠けている部分や要素が複数有るということを年々自覚するようになりました。

 

そのような私からすると、『走れメロス』は非常に凄い話に読めるのです。

 

 

 

今、一番救われているのは、

 

「欠けている部分があるけど、それでも良いよ」

 

と接してくださる方々の存在に比較的早く気が付けるようになったことです。

 

自分としては頑張ったけれど、どうしても自分の至らなさを痛感してしまうときが有ります。

 

「今は本当にしんどいな…」

 

「しまったー!」

 

「この件、どうやって埋め合わせしようか?」

 

そういう不安な思いに駆られたときにも無条件で温かいまなざしを向けてくれる存在が「友達」だと私は思います。

 

 

 

 

ちなみに自分が思う長所の一つは、自分の欠点を開けっぴろげに文章に書き起こすことが出来るところです。

 

日々生活している中で、自分の長所よりも短所が鼻についてしまう時も有りますが、

 

極端に短所が際立っている時は、記事のネタ作りが進んでいるという錯覚を起こしたりします、笑。

 

 

 

 

さらに、発達障害のある身としての意見を言うとすれば、

 

同じ案件に対して、日によってA案、B案、C案と示せる多面さがあるのが、生身の人間の良さです。

 

同じ案件に対して、いつ読んでも変わらない、字面上の不変の根拠を与えてくれるのが本の世界です。

 

どちらの意見に軸足を置いて生活を送るかは、人それぞれ異なる意見をお持ちだと思います。

 

私は、本の世界は安心材料として活用して、本の世界と現実の生活の両方を行き来したいと願っています。

 

 

 

ものすごく前置きが長くなりましたが、

 

相川充『ピンチを解決!10歳からのライフスキル① 友だちづきあいに悩まないソーシャルスキル』合同出版、2018年

 

という、この本を児童書のコーナーで発見しました。

 

要点が端的にまとめられている上に、マンガが豊富で読みやすかったです。

 

この本は、友達関係をソーシャルスキルで解決するヒントを与えてくれる一冊です。

 

 

 

自分自身もそうでしたが、10代は悩みが多い年ごろでした。

 

 

 

私自身が10代の頃にこういった本のような「友達」という人間関係の本を手に取る必要性が有ったと思っています。

 

人づきあいのコツは、(とくに発達障害の診断を頂くまでは)誰かが懇切丁寧に教えてくれるものでもなく、関係のある人の中で少しずつ育んでいく課題になっていることが多かったです。

 

相手も自分もさわやかに関わるための最善の方法は、お互いが学び続けるという方法です。

 

たまたま生まれる妙案な解決策も、もともとは何らかの基礎知識の上に成り立っていると思います。

 

そのように考えると、本から得た知識を効果的に用いながら、一つずつ人間関係の課題を乗り越えてきたほうが良かったかな、という個人的な反省です。

 

つまり、「自分を理解してもらうきっかけを増やすために自ら学ぶことが必要だった」、ということです。

 

今回の記事では、本のタイトルに寄せて、「10歳だった私、10代を過ごした私に必要だったと思う知識」を書き連ねました。

 

 

 

この記事が、発達障害が有っても無くても、10代の子どもたちの悩みを解きほぐすきっかけになれば幸いです。

 

 

 

本日も最後まで記事をお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

それでは、また次回!