極意 "足芯呼吸"
"気”とは誰もが持っている生命エネルギーである。
しかし、私は誰もが持っているままの”気”を”未充足の気”と呼び、西野流呼吸法を行うことで獲得できる、自在な”充足の気”と峻別している。
”未充足の気”は、自分でコントロールすることができない、また、周囲の状況に左右され、邪気に対処しきれない”気”である。
春になれば、草木が緑に萌え、花が咲くというような、世阿弥のいう「時分の花」(真の芸の美しさとはいえない、自然段階の美しさ)
を咲かせる、いわば、自然の勢いのままの“気”なのである。
これももちろんすばらしい生命の”気”である。
しかし、これとは別次元の”達人の気””極意の気”と呼ばれるような気があるのだ。
いざという時に、潜在能力を開花させる”身体的の不思議を我が物としたような気である
これは通常厳しい”行”をすることによってのみ養うことのできる”気”である。
西野流呼吸法とは、この達人の”気”を誰にでも簡単に修得できるようにした、現代的”行”のメソッドである。
私は”呼吸”そのものを、究極の”行”としてとらえる。
”行”としての”呼吸”とは、自然のままの”呼吸”ではない。
開かれた身体がみずから自覚をもって”呼吸”を”する(行ずる)”ということである。
”呼吸をする”こと自体が、最善の意味で自己確認であり、自己実現であり、自己創造であるような”呼吸をする”ことである。
西野流呼吸法のいう”行”としての”呼吸”とは”足芯呼吸”のことである。
今回朗読した
「知的身体の創造」
朗読で取り上げる本については、
毎回購入できるかとの問い合わせがあります。
総本部には見本はありますが、販売はしてないんです。
なので、お読みになりたい方はこちらをご参照ください。
ネットか、古本屋さん、もしくは図書館、あるいは
塾生の方で、西野先生の著書は全部持ってます!という方がいらっしゃいます!
お借りして読んでいただくのもいいかもしれません