左・宝塚
右・温泉場
ですが、
どちらでもなく
坂を直進して
瑞寶寺へ。
住宅街を抜けます。
公園があります。
ん?
瑞宝寺公園⁇
違う
瑞宝寺町公園。
こちらには入らずに
もう少しだけ道を歩くと
山門が見えました
雰囲気ある山寺の感じ
しかし
瑞宝寺は明治6年に廃寺となっています。
そして昭和28年に跡地が公園として整備されました。
説明書
1604年、大黒屋宗雪が瑞宝庵を開いたのがはじまり。孫の寂岩道空は黄檗宗に帰依して、瑞宝寺開基となる。19世紀初めに、25代目の草頂文秀が堂塔伽藍を完備。その法弟、慈定真戒が境内を整備し、とりわけ、楓や桜の植樹に注力しましたが、
1873年に廃寺となりました。
1951年、神戸市が瑞宝寺跡を公園として整備しました。秀吉が千利休らとしばしば有馬で大茶会を催した故事にならって、毎年11月2、3日の両日には、ここで有馬大茶会の野点が催されます。
ひっかかります…
この部分。
1868年伏見桃山城って何⁇
大坂の陣で豊臣氏が滅亡した後,一国一城令により京都に二条城と伏見城の2つの城を維持する名目がなくなり,元和9(1623)年の徳川家光の将軍宣下が行われたことを最後に,伏見城は廃城になりました。
廃城の時期前後に遺構を全国に移設移築するのは分かるのですが、
伏見桃山城は昭和に出来た遊園地の偽物城。
1600年に闘いのあった伏見城は先出のように1623年をもって廃城となっています。
約250年の間、この山門はどこにあったのかしら⁇
綺麗だし…
謎過ぎて、歴史にも疎いからよく分からないのでそれはそれで置いといて、山門をくぐります(笑)
イベントの形跡ありでした。
十三重石塔が見えたので行きかけたのですが、
お墓が並んで見受けられたので
手前から瑞宝寺跡にお邪魔します、と手を合わせて、近寄るのはやめました。
秀吉公が碁を打ったとされる
石の碁盤がありました。
晩秋、紅葉🍁を賞でている間に思わず終日を過ごしてしまったと言われる〝日暮しの庭〟がこの辺りなんですね。
園内には
今、大河ドラマで話題の紫式部の娘・藤原賢子、後の大弐三位(だいにのさんみ)の歌碑もあります。(写真ないですけど💧)
百人一首にもとられている
有馬山 猪名の笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
訳
有馬山に近い猪名の笹原で、風がそよそよと音をたてるように、あなたは私の心変わりを心配しますが、なぜ私が忘れるでしょうか
お煎餅・おかきで有名な小倉山荘さんのホームページに詳しく載っています↓
続きます。