京都十六社巡り
吉祥院天満宮です。
こちらは御祭神・菅原道真公が亡くなられて31年目に当たる平安時代の承平4(934)年、菅原家ゆかりの道真公誕生の地に、朱雀天皇勅命により創建された、最初の天満宮です。
(吉祥天女社・菅原清公卿、菅原是善卿、伝教大師、孔子さまをお祀りしています。)
日蔵上人が吉野・金峰山にて修行中、天満大自在天神の存在を目の当たりにし、「若し人我形を作り、我名を唱えて尊重せば、其の人を擁護せん」との誓願を承り、ただちに、内裏に参り朱雀天皇にこの由、奏上したところ、帝は早速、菅公のご幼少に尊像を宸刻され、菅上の霊として、この吉祥院の地に勅祀はれました。
(金のなで牛・くぐり牛)
吉祥院の地は桓武天皇が平城京・長岡京を経て、延暦13(794)年、都を平安京に遷された時、道真公の曽祖父古人卿・祖父清公卿がお供して都に入り、帝より領地として賜ったところで、当時は白井の庄と称し、それ中央部に邸を構えて住み、六田家(福田、奥田、安田、恩田、寺田、岩田)をはじめとする菅原家一族は従来からの住人と伴に主に
農業を営みながら良好な関係ご築かれていきました。
承和12年(845)6月25日に是善卿に子として道真公(幼名阿呼・吉祥丸)が誕生。幼少期から才知高く、貞観4年(862)18才で文章生に合格するまではこの吉祥院に住まわれていました。
御所仕えのこともあり、父・是善卿のすすめにより、大内裏近く宣風坊(五条西洞院付近)に転住され、文章得業生・方略試をめざし、寸暇を惜しんで勉学に励み、清公卿、是善卿に続き三十三才の若さで文章博士になられました。
政治に学問に大いにその力を発揮、次々と昇進の道を歩み、宇多天皇の特別の信任もあり、学者としては初めての右大将にまでなりましたが、その異例の栄達に有力者の不満がたかまり、
左大臣・藤原時平の政略により、太宰府へ左遷され、その後のことは皆さまご存知の通りですね。
(道真公の臍の緒を埋めた胞衣塚)
去年の様子です。
今年も良い風が吹いてきました。
子どもが走り回っている⁈という感じの嬉しい優しい旋風でした。