【四国八十八ヶ所お遍路の旅】第81番札所・白峯寺②白峯寺の続きです。崇徳院は皇位継承を巡って、弟の後白河天皇と対立し、保元の乱(1156)を起こしますが、敗れて、讃岐国に流され46歳(京都市上京区の白峯神宮の御由緒では45歳と記載)で非業の死を遂げます。その亡骸を埋葬したのが、白峯寺の頓証寺殿の奥にある、白峰御陵です。大黒天さん。上田秋成の『雨月物語』には、崇徳院崩御の3年後にこの地を詣でた西行法師が、崇徳院の怨霊と論戦する場面が描かれています阿弥陀堂には観音さま、阿弥陀さま、勢至菩薩さまがいらっしゃいましたそれぞれの人の生まれを守護する仏さまのお堂がありました。③に続きます。『【四国八十八ヶ所お遍路の旅】第81番札所・白峯寺③』白峯寺の続きです。狛犬ならぬ狛羊🐏お猿さんもいます🐵福禄寿鐘楼頓証寺殿前には天狗さんの像がありました四国八十八ヶ所でこのようなお姿にお目にかかったのは初め…ameblo.jp
『【四国八十八ヶ所お遍路の旅】第81番札所・白峯寺③』白峯寺の続きです。狛犬ならぬ狛羊🐏お猿さんもいます🐵福禄寿鐘楼頓証寺殿前には天狗さんの像がありました四国八十八ヶ所でこのようなお姿にお目にかかったのは初め…ameblo.jp