白峯寺の続きです。



崇徳院は皇位継承を巡って、弟の後白河天皇と対立し、保元の乱(1156)を起こしますが、敗れて、讃岐国に流され46歳(京都市上京区の白峯神宮の御由緒では45歳と記載)で非業の死を遂げます。


その亡骸を埋葬したのが、白峯寺の頓証寺殿の奥にある、白峰御陵です。


大黒天さん。


上田秋成の『雨月物語』には、
崇徳院崩御の3年後にこの地を詣でた西行法師が、崇徳院の怨霊と論戦する場面が描かれていますびっくり




阿弥陀堂には
観音さま、阿弥陀さま、勢至菩薩さまがいらっしゃいました照れ





それぞれの人の生まれを守護する仏さまのお堂がありました。


③に続きます。