下にお手本が敷いてあり


それをなぞるだけなのだけれど

思うように筆は運ばない。

それでも、17年前に亡くなった父を思いながら

一文字一文字を重ねていく。

私が16の夏に家を出た父。

離婚届を出すために待たれていた私の20歳。

入退院を繰り返しつつも反省しなかった父に

振り回された子供時代から成人後まで…。

関わる限り自分は幸せになれないと

社会人になって父を見限った私…

次に対面したのはお葬式でだった。

色んなことが頭に浮かんできて

その度に向こうに見える愛宕山に視線を移した。

そう言えばこの勢至堂の客殿である山亭は

霊元天皇の幸薄かった第十皇女

吉子(よしこ)内親王の客殿を下賜されたもの。

よしこさまの客殿で幸厚いとは言い難いよしこが

写経しているのも皮肉だった。

いつの間にか最後の文字を書き終えた。

10年前に偶然手にして拝借したままのハガキを

鞄から取り出す。

兄宛の知恩院からの法要案内だ。
  
為、の行にハガキに印刷された長くて画数の多い

父の戒名を書く。

少しして様子を見に来た、さきに案内してくれた

僧侶が知恩院に関する書籍を3冊置いて言った。

「(先に書いていた2名の女性と)

ご一緒にご案内しますので

お待ちの間に写経されたものを

お写真にお撮りくださって構いません。

仏様にお供えさせて頂きますので、

ここでお別れになりますから。

あと、お庭や風景もご覧になって、

写真などお撮りください」

この時には高齢者の方も何名か写経されていた。

写真を撮ると音がするのでためらったが

お坊さんの方がそう言ってくださったので

気が楽になり写真を撮ることができた。

しばらくして

2名の女性と共に写経した紙だけを持ち

勢至堂へ案内された。

《つづく》